同窓生の活躍

大学入学直後から続く、深いご縁は今も

本日は、日本文化学部言語文化学科を卒業した中村有梨亜(なかむら ゆりあ)さんにお越しいただきました。
中村さんは、青梅市にある印刷会社に勤務し、主に編集やデザインのお仕事をされています。勤務されている会社には明星大学のあらゆる部署がお世話になっていて、学科の紀要やパンフレット、オープンキャンパスのパネルやディスプレイ、同窓会の役員証やAll Stars’ Dayで配布するカレンダーなどを手掛けています。中村さんは営業・制作担当として、毎週のように明星大学に足を運んでくださっています。

現在のお仕事を教えてください
印刷物に関するご相談をいただき、すべてではありませんが自分で制作もしています。印刷とはいえ、紙のみの対応ではなく、看板やタペストリー等の大きなもの、診察券のようなカード類やストラップ等、お客様のご要望に応じた提案を行っています。
明星大学では、日本文化学科の受験生向けのガイドブックやオープンキャンパスのバックパネル、経済学科のタペストリー、育星会(保護者会)のガイドブック、星友祭パンフレットや研究紀要など、多くの部署からお仕事をいただいています。最近では明星学苑からもお声がけいただけるようになり、中高の生徒募集要項などの作成もさせていただきました。

人文学部日本文化学科バックパネル(オープンキャンパスで使用)

 

経済学部のタペストリーとXバナー(オープンキャンパスで使用)

 

明星学苑創立100周年記念事業 移動式展示 『明星ものがたり』

 

言語文化学科を選んだ理由は
子どものころから日本文化にかかわるいろいろなもの(着物・茶道・和太鼓・琴)になぜか興味をもっていました。進学は自身で学費を工面できるところを考えていました。就職に有利になりそうな学部も調べたものの「大学4年間は好きなことを学ぶ時間にした方がいい」というアドバイスもあり、明星大学のオープンキャンパスで柴田雅生先生(現・人文学部日本文化学科)の体験授業がとても面白く感じ「この大学しかない」と決めました。

印象に残っている授業は
1年生の「なんでもプレゼン」です。まずは好きなものを何でもいいから資料を作りプレゼンしてみよう、という授業でした。その担当だったのが勝又 基先生です。勝又先生との出会いが今の私につながっています。
勝又先生はSA(Student Assistant)に私を2年生から採用してくださいました(当時SAは3年生または4年生から)。はじめて担当したのは1年生の「日本文化体験」という授業でした。毎回ゲストスピーカーをお招きして講演していただく授業のため、事前にどのような内容で講演いただくか打ち合わせが必要です。その打ち合わせにほぼ毎回同行させていただき、いろいろな分野で活躍する方とお話できる、とても面白く素晴らしい体験ができました。ゼミも勝又ゼミに入り、卒論も指導していただきました。

着物で行った卒論発表会

 

最初の勤労奨学生と伺いました
勤労奨学生の1期生として、青梅校の学生課に配属されました。
最初の勤労奨学生なので、職員の方もどのように学生に仕事を依頼していいのか手探り状態でした。学生課で仕事がない時は就職課に派遣されて求人票の整理や配布物の作成をするときもありました。いろいろな部署の職員の方々から可愛がっていただき、そのご縁は今でもつながっていて、本当に感謝しています。
勤労奨学金のほか、明星大学では、同窓会奨学金にも毎年応募していました。
そのほか、埼玉県の本多静六博士奨学金、所沢市のひとり親家庭向けの奨学金、それと高校生時代にも奨学金を借りて入学金等に充てていました。
奨学金の返済は現在も行っています。無利子のものを選んで借りましたので、ゆっくり返済させていただいています。

現在のお仕事に就かれた経緯は
実は、私はカメラマンになる予定でした。
写真を撮ることが好きで、たまたまご縁のあったカメラマンの方に十代のころからお世話になり、お手伝いさせていただいたりしていました。
大学4年生になるころには、すでに撮影の仕事を受けはじめていました。しかし4年生の5月に交通事故に遭い、仕事もアルバイトもできなくなりました。それを機会に冷静に自分の将来を考え、卒業を控えた大学4年生の1月か2月ごろに就職活動を改めてスタートしました。
そんな時、勝又先生の研究報告書作成にアルバイトとして携わらせていただく中で、青梅校近くにある印刷会社、株式会社タマプリントでの打ち合わせに同行。その後を任され1人でタマプリントに出入りしているうちに、社長に「アルバイトしてみないか」と声をかけていただきました。私の状況は先に述べた通りでしたから、即答でお願いしました。一番初めのお仕事は青梅市立美術館のポスターデザインでした。3月にアルバイトを始めてからそのまま働き続けて、7月に正社員となりました。
働き始めたころは、お客様の希望に応えることが難しかったです。制作の面では、デザインはアートではないため、自分ではなくお客様が満足できるものが正解ということになります。これを飲み込むのにかなり時間がかかったような気がします。正解は常に違うので、どうしたら一番喜んでもらえるのかを仕事をする限り考え続けていくのだと思います。

明星大学で学んで今も役立っていることは?
以前からモノを創ることが好きで、高校生の時には通信教育で絵の勉強をしました。日本文化への興味から明星大学の言語文化学科に進み、そこでの様々な経験から、ものの考え方、調べ方、伝え方、知識を得ることの楽しさを覚え、それらはすべて今につながっています。
具体的な例では、論文の組版を行う時には、卒論の時に得た知識が役に立ちますし、漢文が出てきたときには、授業で学修した漢文の専門知識がとても役に立っています。また、わからないときには先生方に質問をさせていただけるなど大学で得たご縁に何より助けられています。

仕事のやりがいを教えてください
小さな会社ですので、多くの業務を行い、直接お客様とお話しをしてご希望に沿うものを作っています。
その環境が私には向いているようで、目の前のお客様の役に立てることがとても楽しいです。
どういう仕事であろうと、喜んでもらえる仕事をして、誰かの役に立つ人でいたい。「ここが足りない、という部分をちょうどいい分たせる人」になりたいと思います。
18歳で明星大学に入学し、すぐに勝又先生と出会い、卒業してからもずっとご縁が切れることなくお世話になってきました。学生時代に培ったご縁があったからこそ、今の自分があると思います。明星大学に心より感謝いたします。

卒業式の勝又先生と中村さん

現在の勝又先生と中村さん

 

2024年9月5日
20号館518会議室にてインタヴュー

中村有梨亜(なかむら ゆりあ)
株式会社タマプリント(企画・制作)
43期・言語文化学科(2010年3月卒業)

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