地域ぐるみの子育てを支え続けて
本日は、人文学部 心理・教育学科14期生の鈴木澄子さんにお越しいただきました。卒業後、明星大学学務課に入職された鈴木さんは、退職後、PTA役員の活動をきっかけに地域の青少年育成会に参加。長年にわたり地域ぐるみの子育て活動に貢献し、2018年に東京都から、2024年には日野市から表彰されています。伸びやかな大学時代の思い出、そして青少年育成活動のお話を伺いました。
おおらかな大学生活を満喫
― 心理・教育学科のご出身ですね。
小学校教諭を目指して明星大学の人文学部 心理・教育学科 教育学専修を選びました。人数が多くなかったせいもあるのでしょうが、教育には団結力がありました。留年したら大変だから、相互助け合いで、テスト前には勉強できる子のノートが回ってくるんです。先輩も回してくれたし、誰でも「ノートを取らせて」と言えば「どうぞ、どうぞ」と。最近では、ノートが資料として売られる時代になったとも聞きますが、ノートの貸し借りで仲良くなれたのですから、ほのぼのとした時代でしたね。
― 人形劇団「まめ」に所属されていますね。
児童文化研究会人形劇団「まめ」では、人形も台本も舞台も手作り。理系の先輩が軽いパイプで持ち運び舞台の骨組みを作ってくれたり、部室が同じだった電気部さんがスポットライトや調光機能付きの照明を作ってくれたり…。部室は、人形や暗幕、歴代の台本もすべて置いてあるので雑然としていましたが、そんな部室の居心地が良くて、いつでも部員がたむろしていました。
夏と春の合宿での活動や、星友祭での子どもたちへの公演やレクリエーションが現在の活動につながっている気がします。合宿では長野と伊豆に行き、そちらの子ども会をご紹介いただいて人形劇やキャンプをしました。伊豆の合宿では、お寺や元自動車教習所の建物をお借りして自炊でした。毎年合宿最後の日には、料理担当になった男子が残った予算を全部使い切って、豪勢な鉄板焼きをしたことも懐かしい思い出です。
― 教育実習やゼミのお話も伺えますか?
生まれたのは東京ですが、父の仕事の関係で各地を転々として、入学と卒業が一緒なのは大学だけ。小学校は富山と千葉、中学校は千葉と愛知、高校は愛知に1学期だけいて札幌から東京へ、という具合でしたから、出身校に教育実習を頼めず、実習校を探すのに困りました。 先輩のつてで3年次の夏に多摩市の小学校のプール指導のアルバイトに入らせてもらい、学校に名前を憶えていただいて、4年次に4週間、教育実習をさせていただきました。
ゼミは、3年次が森下恭光先生、4年次は松野憲二先生にお世話になりました。アンデルセンの童話研究をしようと思って森下ゼミに入ったのですが、哲学的な、というか原始仏教の人間形成に興味が湧いて、教育史がご専門の松野先生のゼミに移って、原始仏教の人間形成で卒業論文を書きました。1年次に指導教育書講読で現象的・原理的な部分を考える機会があって、興味が湧いたというか、もっと突き止めたくなったのかもしれません。
卒業論文は手書きで、修正液は使用禁止でしたから、間違ったら大変でした。卒業論文を書いているときに「ものもらい」になってしまって、すごく見えにくかったことを覚えています(笑)。
― 卒業後は明星大学の学務課に入職されていますね。
教員採用試験を受けたのですが、1次試験は受かったものの2次試験で落ちてしまいまして。もう1年頑張るために、明星大学の通信教育部でアルバイトをはじめました。学生から送られてくるレポートをチェックして、採点する先生ごとにまとめて渡すのが私の仕事でした。
通信教育部は2か月に1回テストがあり、試験実施のために地方に行かれる職員さんがお土産を買ってきて来てくれて、お茶飲みスペースにお菓子がたくさん並ぶのも嬉しかったですね。
いまと違って教員採用試験の倍率がものすごく高くて、2年目も教員採用試験にチャレンジしましたが合格できず、ゼミの森下先生や松野先生に推薦いただいて学務課に入職しました。
地域の活動に長年にわたり尽力
― 明星大学を退職されてから、地域活動をはじめられたのですね。
結婚して家庭に入り、子どもが幼稚園・小学校へと進みました。小学校のPTA役員として日野市の青少年育成会に参加したのが地域活動のきっかけです。
いまでこそ七生中地区青少年育成会の副会長を務めておりますが、最初はPTAの役員として会合に参加し、会の皆さんに誘われ、メンバーに恵まれて活動しているうちに、気がついたら20年以上もかかわっていたという感じです。
幸いなことに夫も明星大学の職員で、我が家は大学から車で15分ほどですので、決算期以外は18時前に帰宅できました。19時からの会議が月に2,3度あるのですが、子どもが幼い時も夫にバトンタッチできたので、安心して会議に出向くことができました。 こうして長く活動を続けることができたのは、家族の理解があったからだと感謝しています。
― 青少年育成会の活動内容を教えてください。
青少年育成会は、日野市では市内8中学校区ごとにあり、私たち大人がみんなで協力し、知恵を出し合って、子どもたちのためのよりよい環境づくりを、地域の力によって進めていくものです。
七生中地区青少年育成会では、夏休みの「ラジオ体操」「スポーツまつりinななお」や「新春マラソン」「ふれあい地域コンサート」などのイベントの開催や、学校行事や市民フェアなどへの参加協力、広報誌「ななお」の発行など、幅広い活動に取組んでいます。
イベントには、七生中生や卒業生もボランティアとして参加しており、地域活動体験の第1歩になっているかと思います。行事に参加してくれた子どもたちに、この地域には、自分たちのことを考えてくれている大人がこんなにもいるんだと感じてもらえればうれしいです。
―2018年に東京都から、2024年には日野市から表彰されました。
東京都の青少年健全育成功労は、日野市青少年委員を10年務め、最後の2年間には議長だったことから推薦していただきました。日野市の表彰については、七生中地区青少年育成会として、 20年以上地域の青少年育成にかかわってきたご褒美だと思っています。
青少年育成会とは別に、地域協働課企画の七生中地区アクションプラン「ななおBONまつり」や南平地区の社会福祉協議会の活動にもかかわっています。地域の皆さん、自治会、民生児童委員、福祉施設、学校関係者、 地域包括支援センター、市民活動団体、行政など、地域にかかわる様々な立場の人が集まって、地域について一緒に考えています。こうした地域活動を通じて、幅広い年代の方とのつながりが広がったことが、私のいちばんの財産ですね。
― 人とつながり、地域に根付いた活動ですね。
七生中地区アクションプランでは、かつて七生中地区をつないでいた盆踊りを復活しただけではなく、J-POPで踊るNEW盆踊りを取り入れ、新しいBONまつりを目指しています。
南平地区社会福祉協議会では、地域の困りごとのお手伝いや、防災・防犯、家族で参加できるイベントなどで南平にあったかい風を吹かせたいと活動しています。地域が協力することで、いろいろな方面でいろいろなことができるようになるといいですね。
日野市に住んで35年になりますが、疲れるほどの都心じゃなくて、いい具合の田舎だから暮らしやすい。交通の便が良いし、学校給食がセンター方式ではなくて自校方式なのも自慢です。現在も図書協力員として学校にお邪魔していますが、昼時になるとすごくいい匂いがします。
地場産の野菜を多用しているから、子どもが「うちの畑のキュウリだよ」「今日のブドウは、うちのおじいちゃんとこだよ」と誇らしげに話すといった、ほほえましいエピソードも耳にします。
― 最後に同窓生へのメッセージをお願いします。
いろいろなところで明星大学出身の方にお会いすることがあります。特に小学校では「明星大学の教育の出身です」と言われたり、校長先生や副校長先生から「管理職になるために明星大学の通信で一級を取りました」と言われたりすることもありました。
先ほどお話した東京都の表彰式で「まめ」の同期に会ったり、日野市内で活躍されている同窓生の方々にお会いしたり、皆さんの活躍に力をもらっています。学生時代に目指した道ではなくても、大学で学んだことや仲間たちは、後々生きてくるものだと感じています。
2025年2月18日
大学28号館図書館2階「MEISEI HUB」*の銘板の前で
*MEISEI HUB:ボランティアやキャリア教育、国際交流、卒業生との連携といった「明星大学ならではの多彩な学び」を提供することを目指して、2023年4月に開設。同窓会からもその趣旨により寄付をしています。
明星大学図書館 MEISEI HUBにてインタヴュー
鈴木澄子(すずき すみこ)(旧姓 松本)
14期 人文学部 心理・教育学科
(1981年卒業)
ご略歴
1981年 明星大学 人文学部 心理・教育学科卒業
1982年 明星大学 学務課 入職
1990年 退職 結婚
2001年 日野市立日野第二小学校PTAとして、七生中地区青少年育成会に参加
2004年 七生中地区青少年育成会 執行部役員
2005年 日野市青少年委員(~2016年3月)
2018年 東京都青少年健全育成功労者表彰 受賞
2024年 日野市青少年育成功労章 受賞