2026.05.30

人々を笑顔にする まちづくりのリーダー

本日は、府中のまちづくりに尽力されている髙橋伸二さんにお話を伺います。 電気工学科4期生の髙橋さんは、高橋電機株式会社に入社後、むさし府中青年会議所理事長、並木通り商店会会長、府中駅周辺安全安心まちづくり連絡協議会会長、府中市商店街連合会副会長などを歴任。まちづくりのリーダーとして活躍を続ける髙橋さんに明星大学時代の思い出やまちづくり府中設立の経緯をお話いただきました。

明星で育ち、家業から電気工学科へ

―幼稚園から明星だそうですね大学で電気工学科に進まれた理由は?

地元府中で評判のいい私学でしたから、両親も安心して選んだのだと思います。私が明星幼稚園を経て明星小学校に入学したのは1955(昭和30)年です。中学・高校では水泳に打ち込みました。

電気工学科を選んだのは、家が電気屋だったからです。私が生まれた翌年の1949(昭和24)年に、父が府中の並木通りに電気屋を出店しました。当時、米軍が年に一度大量の真空管を交換するため放出しており、戦時中、無線機の製造に携わっていた父が、その真空管を仕入れてラジオを製作・販売する「高橋ラジオ商会」を興したのです。

1950年代半ばには白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫が「三種の神器」として家庭に普及し、1960年代にはカラーテレビ・クーラー・自動車の「3C」へと進化していく時代です。家業も順調で、兄と私、弟の三兄弟は、父から常々「毛利元就『三本の矢』のように協力して電気屋になれ!」と言われて育ちました。

2つ上の兄が他大に進んで経営を勉強していましたので、私は迷わず電気工学科に進みました。大学では一年中スキーに夢中で、お世辞にも勉強熱心とは言えませんでしたが、卒業後電気の主任技術者の資格も取得しましたので、家に対する役目は一応果たせたと思っています。

―昔のキャンパスの雰囲気はいかがでしたか?

私が明星大学に入ったのは1967(昭和42)年。当時は全国的に学生運動が盛んな時期で、うちでも一度だけですが、校門の中にバリケードが作られていたことがありました。

大学生活はスキー中心でした。専門はスラローム(回転)で、旗の間を滑りぬけながらスピードを競う種目です。試合時間は2分ほど。その2分間のために一年かけて足腰を鍛えるのです。体育会系の厳しい練習に耐えた仲間とは今でも定期的に集まっています。

スキー部で活躍していた頃。

―卒業後はすぐに家業に入られたのですね。

卒業する1971年に、ちょうど多摩ニュータウンができて、
会社がものすごく忙しくなり、3月中に入社しました。
入社当時は配達担当で、府中を中心に走り回りました。とにかく忙しかったけれど、その分収益も出て、府中に続き、三鷹、調布、国立と店舗も増え、最盛期には社員も35人ほどに膨らみました。叔父が2代目となり、その次に兄が跡を継ぎましたが、先々を考え2008年に高橋電気を閉店整理し、不動産管理会社「高橋興産株式会社」に転換しました。

スキー部の仲間と。

府中のまちをにぎやかに

―地元府中で、たくさんの世話役を歴任されています。

兄はロータリークラブの付き合いが多かったので、私が自治会と商店会、商工会議所に顔を出して、お祭りに携わるようになりました。地元で汗を流し、会計や総務を経験したことで認められたんでしょうね。むさし府中青年会議所 理事長になり、並木通り商店会 会長になり、府中市商店街連合会 副会長を経験しました。府中駅周辺安心安全まちづくり連絡協議会の会長も務めています。いろんな人と出会い、私自身が成長させてもらったと思っています。

―「まちづくり府中」を立ち上げた経緯を教えてください。

「府中をもっとにぎやかな街にしていこう」と、2014年に「L♡veふちゅう賑わい創出委員会」を設立し、チェアマンに就任しました。2016年には「一般社団法人まちづくり府中」を設立、2020年には府中市で唯一の都市再生推進法人の指定を受け、府中市と協働してまちの活性化を推進してきました。2024年には民間主導の事業展開を目指し「株式会社まちづくり府中」としての歩みをスタートさせ、府中の街の活性化やブランドづくり、市民の「やりたい!」を実現するコーディネート、ふるさと納税事業など幅広く活動しています。

まちづくり府中のメンバーと「竹あかり」をバックに。

府中は昔からの宿場町で、神社があってお祭りがあって、路地裏には懐かしい街並みもありました。そういうものが消えて、どこにでもある再開発ビルの街になってしまった部分もあります。私も再開発に関わりましたが、正直、寂しさも反省もあります。
過去を尊び、府中の地に積み重ねられてきた文化と「いま」の府中の姿を重ね合わせ、地域に新たな価値を生み出したい。そんな思いから、府中の伝統や習慣と深く関わりがある「竹」を使った「竹あかり」も生まれました。クリスマス後は「竹あかり」で静かな光を灯しながら新しい年へと移りゆく――そんな思いが広まり、お正月のおもてなしライトアップとして定着しました。

―府中といえば、よさこい祭りも人気ですね。

「よさこいin府中」は並木通り商店会の商店街事業として開催した「よさこいわいわい祭り」がはじまりです。踊り連「國府よさこい」を創設し、その後6商店街連合祭りとして、だんだん大きくなりました。
2005年に並木通り商店会の会長を引き受けたのですが、前年の 2004年に北海道で「よさこいソーラン」を見て踊り子の笑顔がすごく気に入り、この にぎやかなお祭りを府中に持ってきたいと思ったのがそもそものきっかけです。

よさこいの仲間たちと。

― 明星で学んだことと、ご自身の人生の歩みとのつながりをお話しください。

明星学苑の校訓「健康、真面目、努力」は、今でも心に残っています。健康で真面目に、素直に努力して困難を乗り越え、前向きに進む――この言葉の大切さを幼い頃に学べたことに感謝しています。大学、高校ではスキー部や水泳部で一生懸命活動し、健康的な体で楽しい時間を過ごせたことも本当にありがたいと感じています。

実は、よさこいを立ち上げたときに、ちょっと頑張りすぎて疲れてしまい、悪性リンパ腫になりました。そのとき、府中にお住まいの明星大学5代学長の日江井榮二郎先生と面識がありましたので、先生のご縁で東大病院に紹介をして頂き転院しました。お陰様で、無事寛解までこぎ着けましたことは明星大学との関係で得た私の人生の大事な転換点でした。

―最後に後輩の皆さんに一言お願いできますか。

「宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える」が座右の銘です。
生まれた時代、場所など、自分では変えられない現実(宿命)を受け入れ、その中で自らの努力で運命を切り開き、人生の目的や役割を果たそうと使命に燃える――若い方は、これから運命に挑み続けることになると思いますが、常に前向きに、突き進んでもらいたい。失敗を恐れず、積極的に行動してほしいと思います。

2026年3月24日
高橋興産株式会社にてインタビュー

高橋興産株式会社 常務取締役
株式会社まちづくり府中 取締役
府中駅周辺安全安心まちづくり連絡協議会 会長
府中防犯協会 副会長

髙橋伸二(たかはし しんじ)
4期 電気工学科(1971年卒業)

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