2025.09.13
黄綬褒章を受章 不動産業界で活躍する女性リーダー

本日は、長年にわたって不動産業界を牽引する谷合ひろよさんにお話を伺います。
社会学科15期生の谷合さんは、グロブナー建物管理株式会社の代表取締役を務め、全日本不動産協会東京都本部の副本部長をはじめ業界団体のリーダーとして活躍。
2023年7月に国土交通大臣表彰、2025年4月に黄綬褒章を受章されています。
明星大学時代の思い出から、不動産業界での経験、そして社会貢献活動に至るまで、その多彩な活動と使命感に満ちた生き方について語っていただきました。
伸び伸びとした大学生活を満喫
―明星大学を選ばれた理由を教えてください。
私は高校から明星学苑なんです。当時、五日市に住んでいて、電車の本数が少なかったために私立の学校へ通うのは難しかったのですが、明星高校は府中にあって通学が可能だったことと、大学受験をしなくて済むのが魅力でした。「多摩の学習院」と呼ばれていたので、親としても安心だったのだと思います。
―どうして社会学科を選ばれたのですか?
母が福祉関係の仕事をしていたので、私もその方向に進みたいと思って社会学科を選びました。ただ、入学してみると思っていたのとは少し違って、社会福祉の授業が少なかったんです。 福祉が無理なら図書館司書の資格を取得しようと思ったのですが、1年目に社会哲学の単位が取れていなかったのが響きまして。1科目のために留年するのも…と思い結局諦めました。
社会学科では、家族、地域、学校、職場など、社会を構成する様々なレベルでの人間関係や社会構造を学びました。物事を多面的に捉え、情報をそのまま信じるのではなく、自分で噛み砕いて考える習慣が身に付きました。ユーモアの精神をもって人や出来事に接するようになり、人としての幅が生まれたというか、社会学科で人間の大きさを育んでもらったように思います。
―明星大学での学生生活は、谷合さんにとってどのような時間でしたか?
2年生までスキー部に所属していましたが、競技スキーだったので厳しかったです。夏は館山で合宿があり、自分の体重より重い荷物を背負ってテント生活をしました。
冬はスキー、夏はサーフィンで過ごしていましたから、1年中真っ黒。いとこの子どもたちからは「お姉ちゃんの行ってる学校は勉強しなくていいから、僕も行きたい!」と言われるほどでした。
でもちゃんと勉強はしていたんですよ。ノートの貸し借りも盛んで、私のノートは人気でした。当時はコピー機が普及していなかったので、みんな手書き。試験前には友達が何人も我が家に泊まり込んで勉強したり、おしゃべりしたり…。本当におおらかな時代でした。


不動産業界の発展に尽力
―不動産業界とのご縁はどのように始まったのですか?
卒業後、最初は日野自動車関連の会社で秘書として勤めました。福生市職員組合の勤務を経て西部土地株式会社の求人募集を見つけ、不動産業界に入ったのは28歳のとき。受付業務の求人だったのですが、入社2日目に物件を見に連れて行かれました。西部土地は秋川にある不動産会社でしたが、八王子に支店を出すことになり、知らない間に営業担当になっていました。
西部土地は町の不動産屋さんでオーソドックスな仲介や買い取りをしていました。チラシを撒いてお客さんからの電話で反響を取るという営業方式。社長の息子さんも明星大学出身でした。
私が入ったのはバブル期の地価高騰で国土利用計画法(国土法)が改正された1987年のことです。当時、不動産の賃貸部門には女性がいましたが、売買部門には女性はほとんどいなくて、八王子支店がオープンした時に、私と1つ下の女性の2人がデビューしました。専門知識は実戦で学び、資格は必要に迫られて何年かに1つずつ取得していきました。
―女性であることでのご苦労はありましたか?
はじめのうちは甘く見られることもありました。昼間案内した時点で購入の意思は明白なのに詰め切れなくて、夜上司に同行してもらうと「買います」と言われたり、逆に、奥様とのキッチンの話やリフォームの話では女性としての意見が合うので、信頼されることもありました。
今と違って男性中心の業界でしたから、荒波に揉まれ、時には歯を食いしばらなければならないこともありました。仕事を通じてさまざまな人と接するうちに、しっかり・はっきりとモノを言う、毅然とした姿勢が身に付いたんでしょうね。母からは「こんなにきつい子じゃなかったのに、どうしちゃったの?」と言われたくらいです(笑)。

西部土地を経て、共立住販株式会社という会社に誘われ、大きなマンションを建てたり、八王子の駅前にヨドバシカメラを誘致するような大きな事業を担当しました。
マンション建設の際には近隣説明会に行くことも多く、地域住民との対応も大変でしたが、ものが形になっていくのが楽しくて、充実していましたね。
その後、 結婚して有限会社 谷合土地に入りました。谷合土地はグロブナーハウス八王子などのマンションを建てていて、管理会社を別会社として作ることになり、グロブナー建物管理株式会社を設立しました。
―不動産を扱う際に心がけていらっしゃることは?
心がけてきたのは「人を裏切らず、大切にすること」。人のつながりや信頼関係のネットワークは大切な財産です。八王子は「石を投げれば明星に当たる」と言われるほど明星大学の卒業生が多いんです。私は五日市育ちですが、八王子に来てからも大学の関係で人脈が広がりました。
現在、当社で管理している物件のおよそ半数に住宅確保要配慮者が入居していますが、身体が不自由な借主に対しては、手すり等の設置などのリノベーションや階段を使用しないように1階の居室を提供するなどの配慮をしています。
また、オーナーの困りごとについては、問題の解決に向けて親身に対応したり、新たなビジネスチャンスが得られるように地元の同業者との差別化を図っています。長い付き合いのオーナーからは「谷合さんに任せるよ」と言っていただくことが多く、励みになりますね。
―2023年7月に国土交通大臣表彰、2025年4月に黄綬褒章を受章されています。
業界団体の公益社団法人化に伴う組織改革や支部の立て直し、空き家対策の広域連携を後押ししたことなどを、多年にわたる不動産業界への功績として評価していただきました。
公益社団法人全日本不動産協会の東京都本部副本部長を務めています。全日本不動産協会は全国組織で、東京都本部の中に20の支部があり、多摩南支部の支部長を続けています。多摩南支部は八王子、多摩、日野、稲城の四市をカバーしており、280社ほどが所属しています。
ほかにも公益社団法人全日本不動産協会 理事、公益社団法人不動産保証協会 理事、全国不動産協会 東京都本部 副本部長なども任せていただいています。重い任務が多いですが、これからも責任を持って皆様の信頼に応えていきたいと思っています。

―社会貢献活動もされているのは、大学入学の関心が福祉分野に向かっていたからでしょうか。具体的に教えてください。
そうですね。もともと福祉関係に進みたくて社会学科を選んだくらいですし、幼い頃から福祉の仕事に励む母の姿を間近に見て育ちましたから、関心はあったのでしょうね。福祉法人 八王子市社会福祉協議会の副会長を2025年6月まで務めていました。また、地元では東京八王子ライオンズクラブの前期会長のほか、八王子いちょう祭り実行委員会の副会長をしています。
ライオンズクラブでは、特異な才能を持っているのに学校に馴染めない、ギフテッドの子どもたちのプログラムに関わりました。これは文部科学省の補助金を受けて八王子市が実施したもので、ライオンズクエストというプログラムをギフテッドの子どもたちに適用する試みでした。パソコンが得意だけど一人の世界に閉じこもりがちな子や、逆に社交的な子など様々なタイプがいましたが、1年間のプログラムを通じて社会性が身につき、最初は黙っていた子たちも自分から声をかけてくれるようになりました。その成長ぶりを見ると感動しますね。
―多岐にわたって活躍される、そのパワーはどこから来るのですか?
実は10年ほど前に一度全ての役職を降りたんです。ようやく自分の時間ができて、フラダンスを始めたりもしていましたが、数年前に「もう一度出てきて手伝ってほしい!」と言われて復活してしまいました。小さい頃から親分気質なんでしょうか、困っている人を見ると、手を出さずにはいられない性分なんです。多忙な日々が続きますが、頼ってもらえるうちが花ですから…。
―最後に同窓生へのメッセージをお願いします。
卒業してからのほうが人生は長いので、同窓生のつながりを大切にしていただきたい。私たちの学年は卒業から半世紀経ちますが、今でも20人ぐらいで集まって飲み会をしたりゴルフに行ったりしています。個人的に同窓生と会うことはありますが、同窓会の中で私たちの世代は層が薄いように感じます。多くの方が参加できる同窓会になるように協力したいと思います。
2025年8月7日
八王子京王プラザホテル
ロビーラウンジにてインタビュー
グローブナー建物管理株式会社 代表取締役
公益社団法人 全日本不動産協会 理事
同 東京都本部 副本部長
同 多摩南支部 支部長
公益財団法人 不動産保証協会 常務理事
一般社団法人 全国不動産協会東京都本部 副本部長
八王子社会福祉協議会 副会長
八王子ライオンズクラブ 会長
一般社団法人明星会 明星大学同窓会 代議員
谷合ひろよ(たにあい ひろよ)
15期 社会学科(1982年卒業)
