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二つの故郷でご縁に囲まれた人生

◎2つの故郷 ―ご経歴―

1976年3月に人文学部社会学科をご卒業、1978年3月に大学院人文学研究科社会学専攻を修了後、通信教育部に就職されました。9年後の1987年に創立された姉妹校のいわき明星大学に転勤され、30年間在職した後、本学教育学部に再度転勤されました。

いわき明星大学在職中も、週1日は日野校で教鞭をとっておられましたので、受講された方もおられることでしょう。ちなみに、講義期間中の標準的な生活は、月曜日(日野)、火曜日から金曜日(いわき)そして週末は野球部監督として試合や練習の引率などとハードな日々を過ごしておられました。

◎ご縁は続く ―現在―

本学ご退職後も現役時代よりむしろ多忙です。ご縁続きとして、看護学校で教壇に立ち続け、埼玉の自宅と福島を往来しつつ、福島県やいわき市、また青梅市や立川市の社会教育・生涯教育関係の委員も務めておられます。2022年10月には研究大会を主催するために1週間にわたり出張したり一般社団法人全国社会教育委員連合の理事(2023年5月より副会長)として広島での全国大会に出席したりもされています。

他に、東京都立武蔵丘高校の同窓会会長も務め、そのご縁で2021年春より練馬混声合唱団に入団しボイストレーニングや歌唱練習に毎週金曜日の夜に通っておられます。そしてやはり野球とは縁が切れないようです。全日本大学野球連盟評議員および南東北大学野球連盟理事長・会長も務めておられます。

さらに30年間すごした第二の故郷であるいわきでは、ラジオ番組にも出演し「FMいわき」で第2日曜日夕方(18時~19時)に「神山敬章のなんでも社会学」をオンエアしておられます。

◎ご家族紹介 ―明星一家―

ご家族は6名で、妻の余史子さん(旧姓石沢さん10期心教)は敬章さんと同様にワンダーフォーゲル部(ワンゲル)に所属しておられました。余史子さんは本学で小学校教員免許状を取得され、埼玉県の小学校教諭として教壇に立っておられました。


ご家族と(2022年5月 退職および誕生日祝賀会)

そして敬章さんの転勤に伴いいわき市へ移住され、同時に子育てに専念するため一時離職されました。その後、ご長女の高校進学後に埼玉県に戻り、小学校教諭として復職され、現在は埼玉県の小学校で理科専科としてフルタイム勤務しておられます。

お二人のご縁は在学中の部活です。敬章さんはそれまでは野球に打ち込んでいたのですが、山好きということでワンゲルに入部しました。マネージャーを務めていた時、1学年下の余史子さんにマネージャーを引き継いたのですが、部活内男女交際禁止であるにもかかわらず学外で、“引き続きの打ち合わせ”を行ったようです。

敬章さん曰く「マイペースで一人旅を好む、あっさりした性格でクレバー」なところにひかれたそうです。
一方余史子さんは敬章さんに対して、「先輩として尊敬していたが、気が付いたらだまされていた!」
併せてご息女の言葉、(山歩きがお好きな敬章さんですが)「お父さんは(忙しくて)一緒に山に行ったことがない」

ご息女のうち3人は明星大学同窓生です。長女理絵子さん(37期・英文)、次女由紀子さん(39期・教育)、三女麻衣子さん(42期・化学)、現在は由紀子さんが小学校教員、麻衣子さんは中学校数学教員としてご活躍です。

明星大学とのご縁 ―入学の動機―
本学とのご縁は世代をさかのぼります。元々あまり明星大学は視野に入っていなかったそうです。ところが当時は、各大学では大学紛争が起き、敬章さんも高校2年生の時にバリケードストライキを経験しました。そしてある大学に入学したのですが、講義が受けられず中退しました。

浪人中にお母様からお声がかりがありました。実は、本学創立者の児玉九十先生のご息女が、敬章さんのお母様が学ばれた女子高の先輩でよくご存じだったそうです。

◎野球とのご縁 ―部活の系譜―

大学在学中はワンゲルに在籍しいていましたが、中・高は野球に打ち込んでおり、そのご縁で、本学通信教育部に就職後は再度野球三昧に戻ります。昼休みはグラウンド(現在の26号館およびその周辺)で野球の練習、そして通信教育仲間の玉川大学や法政大学との交流試合を続けていました。転勤後もいわき明星大学で野球部監督を続け、現在も南東北大学野球連盟理事長・会長などの要職を務めておられます。

◎「いわき」とのご縁 ―第二の故郷―

大学に就職すれば転勤など無縁(!)と思っていた敬章さんに、在職9年目に突然転勤話が降ってきました。そしてご一家はいわき市に移住することになりました。当初は数年で戻れるという目算を立てていたそうですが、結局いわき明星大学に30年にわたり在籍されました。

そのいわき明星大学も、法人分離後別法人の医療創生大学となりました。曰く「寂しい限りです。いわき市が自分を育ててくれました。教育・研究の場であり実践の場でもありました。ご縁が続く第二の故郷です」。お言葉通り、先のように、現在も委員会活動やFM放送などを通じてご縁が続いています。

◎東日本大震災を体験

2011年3月11日、地震・津波・放射能汚染に見舞われました。

「研究室で学会の論文を査読していた時、突然揺れはじめ書棚の本がバラバラ落下してきました。室外に出ようとしても内開きドアの前はパソコンやプリンター・テレビなどが散乱してわずかな隙間しかなく、自分でもどうやって脱出できたかわからず、とにかくグラウンドに向かいました」。

建物の被害はそれほど大きくはなかったのですが、大変だったのは、その後の学生の安否確認でした。ちょうど春休み期間中、余震が続く中で一人一人に連絡をして結果的には全員無事だったのですが、自宅以外に避難していた学生もおり、なかなか確認が取れなかったそうです。


約1年半後のいわき市の海岸近くのがれき集積所(2012年8月)

◎お世話になって先生方および友人の皆さんに感謝

〇学部・大学院でお世話になった恩師

「卒業論文では三好豊太郎先生に、昼休みを使いゼミで不足の部分をご指導いただき、大学院入学に際しては、学科主任の銅直勇先生にお世話になりました」。

大学院では指導教員の福永安祥先生から、教育社会学について学ぶ機会を与えていただきこれが今に至るご専門となりました。併せて福永先生は、敬章さんの赴任と同時にいわき明星大学の人文学部長に就任され、ご結婚の仲人にもなっていただき、さらにご縁がつながることになります。

また高島秀樹先生については、「大学院生のおり教育社会学の研究で、福永先生と共に奥多摩調査でご指導いただき研究同門の縁で今日まで、やはり公私にわたりお世話になりました。特に社会教育、生涯学習のテキストの編共著で4冊明星大学出版部から発刊しました。私が社会教育、生涯学習の研究分野に踏み出せたのは高島先生のお陰です」。

前述した先生方の他、秋田勝彦先生には大学3年の授業からお世話になり、今日まで公私にわたりお付き合いをされています。「この数年コロナ禍では中断していますが、府中で月1の飲み会や麻雀は旧交温める場になっています」。

〇就職した通信教育部

大学院修了後、通信教育部(当時は現在の12号館2階と3階)には9年間在職されました。当時主任の甲斐規夫先生や森下恭光先生にも大変お世話になったそうです。

在職中、当時通信教育部長の児玉三夫先生(第2代学長・理事長)と小川哲生先生(第7代学長)のお供で欧州視察(私立学校欧州視察団団長:児玉三夫)や中国視察にも参加し、海外旅行が現在ほど普及していなかった時代、大いに見聞を広めることができました。

多くの友人たちの中に、特に通信教育部時代から仕事やプライベートで40年以上のお付き合いがある同窓会役員でもある、植田重彦さん(10期・心教)、名取淳さん(10期・経済)がおられます。お二人は、しばしば仕事帰りに急に飲み会に誘い合う「神山犠牲者の会」メンバーであり、今日まで続いているそうです。

「児玉三夫先生はじめ銅直先生、三好先生、福永先生、高島先生という学科の先生方、通信教育部では甲斐先生、小川先生、また親子二代にわたりご指導いただいた森下先生の諸先生方には明星健児としての薫陶を受け今日の私があることは先生方や友人達のお陰だと感謝しております」。

◎インタビューを終えるにあたって

「人は学ぶために生まれてきたのではなく、生きるために学ぶのです。自分が良いと思うことを生涯学び続け、自己実現を果たしてほしい」。

2022-10-17

神山敬章(かみやまたかあき9期・社会)
1978年3月に大学院人文学研究科社会学専攻を修了

学校法人明星学苑 明星大学名誉教授
元明星大学教育学部教授
元いわき明星大学現代社会学科教授
一般社団法人 全国社会教育委員連合副会長
公益財団法人 全日本大学野球連盟評議員
南東北大学野球連盟理事長・会長
福島県市町村社会教育委員連絡協議会会長
アクアマリンふくしま評議員
公益財団法人 いわき市教育文化事業団理事
東京都立武蔵丘高等学校同窓会会長
福島県いわき地区社会教育委員連絡協議会会長
FMいわき第2日曜日夕方18時~19時「神山敬章のなんでも社会学」出演

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