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音楽と共にある人生

皆様、初めまして、12期人文学部経済学科卒業(1979年)の中山喜雄(なかやま・よしお)です。

 【自己紹介】

大学時代は室内合奏部に在籍しフルートと学生指揮者を担当。1979年卒業後、(株)河合楽器製作所に38年間奉職しました。定年退職後は音楽の指導を主としたNakayoshi Musicを起業しました。大学で教職課程を履修した実績も踏まえ、幼保・小学校・中学校の教育現場にてマーチングバンド・吹奏楽指導等で幅広く音楽の普及・発展に努め、明星学苑・明星大学の「建学の精神(和の精神のもと、世界に貢献する人を育成する)」を基に子供たちに音楽の持つ力、魅力を伝え、音楽を通じての人間形成を目指して活動中です。

 【執筆の経緯】

経済学科卒業と書き始めましたが、学生時代は講義室よりクラブ活動「室内合奏部」の練習場・部室・ピアノ室で多くの時間を過ごす、好ましからぬ学生でした。室内合奏部は主に弦楽器と木管楽器で編成する、小さなオーケストラです。

卒業後44年を経過した現在も「室内合奏部OBOG会」の活動を続けており、昨年は、一般社団法人化した同窓会の文化系団体として4番目の支部会の登録をしました。そして、本年3月にはOBOG会の臨時総会と音楽活動部門である「mf(エムエフ)室内合奏団(※)」の演奏会を開催し、同窓会役員の皆様のご来聴を得たうえ、会長からの祝辞と今回の「明星会Webサイト(ブログ配信)」での同窓生の活動紹介という、ありがたいお話をいただきましたので、この楽団の指揮者を務める私が筆を取った次第です。

※mf は「meisei family」「music factory」&「音楽記号メゾ・フォルテ」の頭文字です。

 【音楽への目覚め】

幼年期にオモチャのピアノで戯れる私の姿を見て「この子には才能が!」という両親の大いなる勘違い?でピアノのレッスンに通いだしましたが、遊び盛りの本人は、毎日、泥んこまみれで練習もせずに、先生が出してくれるお菓子がお目当てでした。

少し長じて、近所の教会のオルガンを弾く機会があり、当時のストップ付きの足踏みオルガンの重厚感溢れる音色と自分の演奏に合わせて響く讃美歌の歌声に感激し、泥んこ少年は音楽の楽しみ、喜びに目覚めました。その時以来、小学校で鼓笛隊、中学校で吹奏楽部、高校時代は仲間とのバンド活動に明け暮れたのです。

 【音楽漬けの学生時代】

1975年、本学入学と同時に迷わず室内合奏部に入部、4年間を新入生歓迎コンパ・スプリングコンサート・夏/春合宿・星友祭・定期演奏会・幹部交代・追い出しコンパという音楽漬けのサイクルで過ごしました。

「春合宿」(1977年3月26日/静岡県伊豆下田 民宿「喜佐美」)

 入部当時の室内合奏部は弦楽愛好会からクラブになって間がなく、先輩・OBも少数で、活動はクラシックとポピュラー音楽との「リアル二刀流」でした。演奏会は第1部でバッハやヴィヴァルディのバロック作品、第2部でポール・モーリア等のポピュラー音楽の構成で、入部して初めて楽器を持ったメンバーには、かなりハードルが高く、当然ながら完成度は低いものでした。

それでも部員の演奏に対する情熱は熱く、より良い演奏を求めて、現状の課題と解決策、具現化のために喧々諤々のミーティングを重ねて、演目をクラシック一本に絞ることと音楽トレーナーの導入に至りました。部員構成の関係で、2年生から学生指揮者を務め運営幹部として、この改革に取り組んだ経験や友人づくり、他団体と接する機会を得たことは卒業後の社会人生活でも大いに役立ちました。

「卒業する四年生合奏」(1978年12月12日/立川市市民会館小ホール)

 【勤め人時代 ~ 課題解決の手法、組織はオーケストラ ~】

1979年、音楽への情熱を活かせる職業として(株)河合楽器製作所に入社し、主に学校や公共施設への楽器販売の営業職でしたが、楽器納入後のアフター・サービスとして教育現場での音楽活動実践の機会もあり、在学中に取得した教員資格が効力を発揮しました。

38年間のサラリーマン生活は、この時代の誰しもが経験したバブル経済とその崩壊、リーマン・ショック、阪神淡路・東日本大震災等の影響を受け、上司・同僚・後輩との人間関係に悩んだ時期もありました。必ずしも順風満帆とは言えませんでした。

しかし、学生時代に培ったオーケストラのワンチームの精神の基に目的達成のための手法、適材適所の思考や協調性をもって取り組み、そして何よりも本学の校訓の「健康、真面目、努力」を念頭に置き、ひとつひとつ課題をクリアしてきました。

SDGsや働き方改革という言葉も生まれていない、当時の企業活動の目的は営利の追求と社会・株主への利益還元でしたが、目標達成のための基本的手法はオーケストラの活動と同じと考えることができたのです。

「第5回レギュラーコンサート」(1977年12月16日/立川市市民会館小ホール)

 【結びに ~ 年若き同窓生と在学生の皆様へ ~】

幼年期から学生・勤め人時代を通じて、音楽と共に過ごしてきましたが、おかげさまで数多くの友人や知己を得ることができました。
人生100年時代と言われますが、前期高齢者の仲間入りをし、平均寿命の第4コーナーを回った現在、そして、これからも文末に記した様々な音楽活動に従事しながら「音楽と共にある人生」を謳歌していきます。

結びの言葉に代えて。
年若き同窓生や在学生の皆様は、100年に一度の世界的パンデミックと言われるコロナ禍を乗り越えてきました。明星大学で培った「健康、真面目、努力」を糧に、これからも社会の荒波を乗り越えて、充実した人生を享受できるようにエールを送りながら筆を置きます。

 

2023年5月13日

中山喜雄(なかやまよしお)
12期人文学部経済学科卒業
mf室内合奏団音楽監督
さいたま市教育委員会部活動指導員
川口シニアアンサンブル指揮者
(公社)日本吹奏楽指導者協会(JBA)会員
(一社)日本マーチングバンド協会会員
(一社)日本フルート協会代議員

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