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エッシェンシャルワーカーとして震災復興でも活躍

 

<はじめに>

今回ご紹介する 池田雄毅さん は、青梅校の電子情報学科第1回卒業生であり、現在「三喜技研工業株式会社」の代表取締役社長をしておられます。エッセンシャルワーカーとして、2024年1月1日の「能登半島地震」でも石川県内灘町に高杉商事との混成班で出動し、復旧作業に携わりました。

インタビューは2023年12月ですので、本文に反映されていませんが、現地の様子は別途、Webに公開予定です。

 

<社名の由来> 

― 師走のお忙しい時期に、お時間をとっていただきありがとうございます。早速ですが、池田さんの会社の概要と社名の由来についてお話しください。

池田 当社の前身は、第2次世界大戦後の1947(昭和22)年に、東京都小平市で祖父の髙杉喜平が創業した「し尿処理業高杉組」です。この会社は後に「高杉商事株式会社」となり、小平市からし尿処理の他、塵芥収集運搬委託業務を受託しました。その後、浄化槽設置、清掃、維持管理と業務を拡大しました。以降、東京都ばかりでなく各県へ事業を拡大し、現在も操業しています。

当社は、高杉商事が当時受託していた「日産自動車村山工場」(2004年閉鎖)での構内清掃、下水道事業の業務を行うために1980(昭和55)年、ここ(武蔵村山市、日産村山工場が目と鼻の先に立地)で独立いたしました。社長は祖母で、その後に父(池田皓介)が受け継ぎ、2015(平成27)年に父の死去により私が代表取締役社長となりました。現在、従業員40名他、役員3名です。

「三喜」という社名は髙杉喜平の「喜」から取り、「三」は当社の3事業、下水道の維持管理、建物清掃、車両整備を示しています。他にも「三」は「さんずい(水)」を表し、人々の生活に必要不可欠な「水」に関わる事業を主たる業務として行っていくという意味も含まれています。当社の企業ロゴマークも「水」をイメージとしたデザインになっています。

三喜技研工業株式会社のパンフレットより

 

― 確かに、社長室から隣地に広大な空き地が広がっているのが見てとれます。これが工場跡地なのですね。

池田 そうです、一部にはイオンモールなどもできているようですが、このあたりはまだ遊休地になっています。

 

<社長に就任>

― 社長就任前も会社に役員として関わっておられたのですね。

池田 社長になる前は2012(平成24)年から専務取締役を務めておりました。当社に入社したのは2006(平成18)年8月です。営業課に配属された後、10月から10カ月間、中小企業大学校*「経営後継者研修(第27期)」を受講しました。大学と同様にフルタイムで講義やゼミ活動がありました。

*中小機構(独立行政法人 中小企業基盤整備機構)が運営する大学校であり、中小機構とは、国の中小企業政策の中核的な実施機関として、起業・創業期から成長期・成熟期に至るまで、企業の成長ステージに合わせた幅広い支援メニューを提供し、地域の自治体や支援機関、国内外の他の政府系機関と連携しながら中小企業の成長をサポートしている機構です。(中小機構ホームページより一部改変)

受講により、経営の基本を学べたのはもちろん、受講前の「ゆくゆくはこの会社を継ぐのだ」という漠然とした考えが、受講後には「この会社を支え、社員を守る」という強い信念を持てるようになりました。また、多種多様な業界の後継者が参加しており、OB会もあるので、先輩・同期・後輩などの幅広い人脈ができたことは大きな財産です。

研修終了後に会社の営業課に戻って、2009(平成21)年に取締役兼営業部次長、2012(平成24)年から専務取締役を拝命しました。

 

― そして、社長に就任されました。就任前後で変化はありましたか。

池田 2015(平成27)年9月に拝命しました。責任の重圧が専務のときとまったく違います。それまで専務としてそれなりに責任は感じていたのですが、社長はまったく違いました。

社長になると会社の実印を押すケースが増えます。例えば、銀行から借金をするときも連帯保証人にならなければなりません。部長以上は皆さん、私より年上ですし、今まで社長しか知らなかったことが次々出てきます。前社長が会長などの職で存在していれば相談もできるのですが、亡くなっています。

 

― 社長が亡くなられて引き継ぎが十分でなく、社業について相談する人がいないということですね。

池田 その通りですが、幸い叔父の髙杉憲由(高杉商事の社長 10期・土木工)  が当社の役員を務めているので、状況に応じて相談できました。

 

― 社長の重い責任からくる重圧を跳ね返すために何かをされていますか。

池田 2015(平成27)年2月に生まれた子どもの育児や同業者の方とのゴルフ、また、旅行、ドライブ、写真撮影などで、気分を紛らわしております。

1996年卒業旅行にて(イタリア フィレンツェ ミケランジェロ広場)

 

<エッセンシャルワーカー>

― 新型コロナウイルス感染症まん延時の会社運営などはどうされていたのでしょうか。いわゆるエッセンシャルワーカー*として。
*国を維持する最低限の社会インフラに必要不可欠な労働者(Essential worker)またはキーワーカー(Key worker)、クリティカルワーカー (Critical worker) (ウィキペディアより)

池田 2020(令和2)年4月7日の第1回緊急事態宣言(4月16日には対象を日本全国に拡大)期間中は、役所の指示で現場が止まりました。その時は社員を2班に分けて対応しました。それが解除されてからは通常業務に戻りました。その時に、私たちがエッセンシャルワーカーと呼ばれることを初めて知りました。

私たちの仕事は、普通に生活しているとなかなか目につきにくい。上下水道などは使えて当たり前、使えなくなったときのことは本当には想像できないのではないかと思います。下水が詰まってようやく必要だと分かるのです。大震災などを経験された方は「トイレが使えない」、「下水が流せない」、「ゴミの処理ができない」などの体験から大切さを認識しておられます。

2011(平成23)年の東日本大震災後の復興支援で宮城県石巻市に行った時のことです。あるお宅の下水管の復旧後にお礼を言われ、若い社員が感激していました。私たちが普通に作業している時「うるさい」などと言われることはありますが、あまりお礼の言葉をいただくことはありません。

 

― ところで、社長として普段から心得ておられることなどありましたらご披露してください。また、社長をしていてよかったことなどもありましたらお願いいたします。

池田 従業員に対しては、常に相手を尊重して、相手の気持ちになるべく沿うようにしています。従業員がミスした場合、最初はあまり責めません。繰り返すと怒ります。ただし本人に直接ではなく、上司を叱責します。

うれしかったのは、社員の成長を感じた時、またボーナスを喜んで声掛けをしてもらった時です。逆に困ったことは、様々な事情がありますが、退職者が出た時ですね。

 

― 先に従業員の方のミスのことをおっしゃいましたが、現場作業なので、従業員の方の責任ばかりではないと思いますが、事故などもあるのでしょうね。

池田 作業での事故はあまりないのですが、車で動いているので交通事故があります。幸い、これまでは物損で済んでいます。

現場の事故として、この業界で時々あるのは酸欠です。マンホール内に入るので、事前に酸素濃度を測定してから入らなければならないのですが、それが守られない場合があるのです。私は、かつて修業のために籍をおいていた企業の現場で、安全に気を付けることをしっかり学びました。

 

― 別の会社で安全管理をしっかり学んだということは、現在の会社以前に別の会社に在籍しておられたということですね。

池田 芦森エンジニアリング株式会社で、上下水道をはじめライフラインの現場で施工管理に携わっていました。この会社には5年間お世話になりました。卒業時に就職したのは、株式会社ハイテック(現・株式会社テクノプロ)で、約5年間在籍していました。

卒業時に父からは外国留学を勧められたのですが、大学で学んだことを生かしたいと思い就職しました。結果的には、業務の関係で欧米への出張が多く父の意向も実現できました。

海外出張(2011年11月、ロサンゼルス「WEFTEC2011」)右から2人目が池田さん

 

<明星との繋がり>

― 話題を変えまして、明星大学への入学を決めたきっかけについてうかがいたいと思います。

池田 元からお話しすると、先の高杉商事創業者の祖父はもともと農家で、小学校しか出られなかった。当時府中に仕事で行って、明星の生徒たちが制服を着て学校に通っているのを見てとてもうらやましく思っていたそうです。

 

― 当時の明星について、制服が似ていることもあり、明星学苑を「三多摩の学習院」*と呼ぶ方もおられたようですね。
三多摩とは、かつての東京都の郡部である北多摩・南多摩・西多摩地区の総称

池田 叔父や叔母も明星で、叔父の孫たちも明星幼稚園と明星小学校に通っています。そのようなわけで、祖父は私が明星高校に入学した時も、「孫が明星に入学した」ととても喜んでくれました。そして、私も大学は明星と決めていました。

ちなみに、私の子どもも明星小学校3年生です。以前に、明星会の Web で紹介(「同窓生の活躍」欄に2023年3月公開)された、明星小学校の夏苅崇嗣先生( 29期・心教 教育学専修)には体育でお世話になりました。

青梅校のことは、高校1年生の頃に担任の神保長文先生から、私たちが卒業する時に青梅に新学部(1992年 情報学部と日本文化学部開設)ができる、との情報を得ました。それにより、日野校の他に青梅校という選択肢が増えました。

社業のことを考えると日野校の土木工学科の方を選択するべきだったのですが、父も当時の最先端である電子関係を学ぶ方が良いと、青梅校への進学へ背を押してくれました。父はもともと東芝(大手総合電機メーカー 株式会社 東芝)に勤めていて、私は子どものころからゲーム機ではなくパソコンを扱っていました。

青梅校進学の決め手になったのは、新しい真っ白な校舎、先輩のいない一期生になるということと、自宅(東京都小平市)からの通学の便です。ただし通学手段としては、やはり時間がかかることと、青梅校は学内に駐車可能ということで、半年後から自動車通学にしました。

JR青梅線 河辺駅前のバス停留所(2015年撮影)

 

― 学生生活はいかがでしたか。

池田 楽しいことがいろいろありました。とにかく先輩がいないので、自由に何でもできました。少し羽目を外したこともありますが。サークル活動では、軟式野球や旅行サークルなどを組織しました。当時の私をお見せしたいのですが、カメラが趣味なので撮るばかりで自身の写真はほとんどないのです。

軟式野球は、電子情報学科の仲間で始め、最初は草野球状態だったのですが、PARADOX(パラドックス)というチーム名のユニフォームも作り活動をしていました。

2年生か3年生の時、日野校の軟式野球部から一緒に連盟を作ろうという話があり「首都大学軟式野球連盟」として、明星青梅と明星日野の2校でスタートしました。ユニフォームも MEISEI に変わりました。その後、獨協大学や創価大学が加わり、2015(平成27)年には連盟のロゴマーク*も作成されています。
*2015年に明星大学造形芸術学部教授である冨田洋美先生と明星大学の学生の秋元冴惠さんに作成していただいた。(首都大学軟式野球連盟のホームページより)

 

― 先ほど、卒業後の就職先として大学での学修を生かしたいというお話でしたが、卒業研究ではどのようなことをされましたか。

池田 半導体工学の今井哲二先生の研究室で「発光ダイオード及びレーザーダイオードの発光特性」という題目で研究しました。

講義は受けていませんが、氏原淳一先生(後に、第6代明星大学学長)もおられました。また職員の方々とも新キャンパスを自分たちでデザインするのだという気持ちで親しく接していただきました。学生課の百木英明さん(4期・社会)、就職課の廣石洋一さん(5期・経済)、秋山泰生さん(23期・経済)たちを覚えています。また、現在、明星学苑職員の上田康弘君(29期 青梅1回・電子情報)は同期生です。

卒業旅行の思い出もあります。5人で20日間のヨーロッパを周りました。他大学の学生も含めて30名ほどのツアーで、イタリア、フランス、ドイツ、スイス、英国の有名どころを周りました。写真も多く撮りましたが、やはり撮ることに専念し、自分が写っているのはわずかです。

フランス パリ エッフェル塔をバックに同級生の飯野良治君(左)と

 

フランス ヴェルサイユ宮殿

 

― 明星大学との関係では、インターシップも受け入れていただいていますね。

池田 先にも申しましたが、生活に必要不可欠だが普通の生活ではあまり注意を払わない下水道をPRし、私たちの業界を紹介・理解してもらうためです。以前はけっこう来社する学生がいたのですが、最近はインターシップの役割が変わったのか、参加者があまりいません。

 

― 近頃は、学生と企業のマッチングの要素が強くなったようですね。

池田 社会に出る前に、いろいろな業態の会社を見ておくのは良いと思うのですが。

 

― これまでに、同窓会の行事などに参加されたことがありますか。

池田 最近は、イベント・企画運営委員会副委員長の役職になり、参加していますが、これまではあまり出席しませんでした。ただ、青梅校が閉校する時の同窓会(2015年3月21日の「青梅校つどいの会」、明星大学青梅校体育館)と星和会(2013年5月12日の「第3回星和会」、パレスホテル立川)には出席しました。

「青梅校つどいの会」(2015年3月21日、明星大学青梅校体育館)

明星会だより 75号(2015年9月1日発行)より

 

― 最後に座右の銘というようなものはございますか。

池田 明星高校時代から続けている「凝念」*です。仕事を始める時、集中力が必要な時などに、日頃から実行しています。今は子どもも明星小学校なので一緒に実践しています。
*凝念は、心の働きを一点に集めること、精神統一が目的です。姿勢正しく腰を掛け、両手は下腹部に合わせて目を閉じて、臍下丹田(せいかたんでん)に力を入れます。心を落ち着かせて精神を集中させることで、スムーズな切り替えができます。授業時間や行事の始まりや終わりに行うことで集中力が高まり、心身の健康にも役立ちます。創立当初から大切にしてきた取り組みは、今も明星教育の大切な柱の1つです。(明星学苑Web サイトhttps://www.meisei.ac.jp/mg/education/concept.html 教育方針2.凝念を通じて心の力を鍛える教育より)

また、当社の社訓である「誠実をもって事にあたり 誠実をもって人に接せよ」という言葉を常に意識しています。

 

― 今日はインタビューの機会を設けていただきありがとうございました。資料などもたくさんご用意いただき感謝いたします。

2023.12.21(三喜技研工業株式会社社長室にてインタビュー)

 

池田雄毅

(いけだゆうき 29期(青梅1回)・

電子情報学科1996年3月卒)

三喜技研工業株式会社 代表取締役社長

一般社団法人明星会 明星大学同窓会

イベント・企画運営委員会 副委員長

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