同窓生の活躍

一生懸命はかっこいい


今回お話をうかがったのは、化学科を卒業し現在東京都の利島(としま)*1で利島村立利島小中学校の教員をしておられる諏訪 飛翔(すわ つばさ)さんです。
*1 伊豆諸島に属する有人島(ウィキペィア)
伊豆大島の南南西約25 kmに位置する、直径約2.5kmの火山島で、海面下の部分を含めると直径約5km、比高約600mの規模である。面積は42km2 です。東京都利島村(小学館 デジタル大辞泉より抜粋)

島での生活

― 本日は新宿までおいでいただきありがとうございます。諏訪さんのお仕事のことなどをうかがいたいのですが、現在生活しておられる「利島」についてまずお話しください。


ドルフィンスイム

(諏訪)島全土が国立公園となっており数多くの自然がそのままの形で残っています。島全土で、無農薬で椿を栽培しており、椿を始めとした産業が有名です。また、日本でも有数のイルカが間近で見られるスポットでもあり、言わずと知れた釣りの聖地でもあります。

利島では、本州のことを「内地」と呼んでいます。海に囲まれて、内地より南にあるので暑くて湿気が多くすぐカビが生えます。ただし、寒暖の差はあまりありません。

― 豊かな自然環境で伸び伸び学習できそうですね。

(諏訪)利島村立利島小中学校は、小学校(児童16名)と中学校(生徒8名)が同じ校舎で一緒に生活をしています。小中の教職員も同じ職員室で働いています。今年度から、より小中の連携を強く、それぞれの校種の文化の違いをなくしていきたいという思いから、9年制の「義務教育学校」*2 になりました。
*2 小中一貫校が小学校・中学校にそれぞれ校長や教職員組織が立てられているのに対し、義務教育学校は小学校・中学校通して一人の校長、一つの組織となっていること(ベネッセ教育情報より)。


諏訪さんが勤務している利島村立利島小中学校

教職員には兼業許可がでており、私の教員資格は中学校と高等学校ですが小学校の児童も指導しています。一昨年と昨年度は、小学校高学年の理科授業も担当しました。
部活動も一緒にやっており、私が顧問をしているバドミントン部では5名の部員の内1名は小学生です。

研修もしっかり受けており、今年5月にはリモートで島を離れずに「東京教師道場」の授業研究にも参加しました。写真はその時の様子です。


東京教師道場での授業研究(2024年5月)

また昨年度は、校内のICT(情報通信技術)委員会の委員長として、校務のDX(デジタルトランスフォーメーション)化を行いました。利島には写真屋がないため、行事写真は教員が撮影し、各家庭に希望を募って、写真を印刷して配布を行っていました。それを学校ホームページにGoogleドライブで連動させ、各家庭で好きな写真を印刷、データで保存ができるようにしました。

その他にも校務支援システムを活用した出席簿の電子化を行いました。今まで、紙で集計していた出席簿をデジタル管理することで集計作業などがなくなりました。

一生懸命に挑戦する姿を子どもに見せる

(諏訪)利島は、自治体に対してひとつの学校、ひとつの教育委員会となっているため、村役場と学校と教育委員会が連携して様々な取り組みを素早く実践することができます。教員として、新しいことに挑戦しやすい環境が整っています。今年から新しくなった利島村の教育大綱の3本の柱の中に「当事者意識」というものがあります。これは、村民の一人ひとりが、物事を自分事として捉え、失敗を恐れずに前向きに挑戦しようというものです。

大人になると、新しいことに挑戦することを躊躇してしまい、人の取り組みに対してもコメントするばかりで何もしない評論家になりがちです。教員として、何かに一生懸命に挑戦する姿を子どもに見せることが非常に大切だと思います。へたくそでもいいから、がむしゃらに一生懸命に取り組む姿に、多くの人は勇気づけられるのだと思います。そんな教員を目指していきたいです。「一生懸命はかっこいい」。

地域の人々との繋がり

― 利島には何人くらいの方が住んでいるのですか。

(諏訪)利島村の人口は約300人で、村での生活はお互いに顔見知りということもあり、支え合い、協力し合いながら生活しています。お店でおまけしてもらったり、村の人が釣ったイカや魚をもらったり、漁協から買ったマグロやカツオ、カンパチを教員で集まってさばいてパーティーをしたこともありました。

夜には街灯のない南ヶ山園地(広場)に行って、360度の天然のプラネタリウムで流星群を見たときは感動しました。

― お互いが知り合いということで、教職員も地域の方々の中に入って一体となっているのですね。

(諏訪)学校は村一番のコミュニティーの拠点となっており、夕方には社会体育という大人のサークル活動(主にスポーツ)を行い、村の人同士の交流の場となっています。運動会や文化祭は、午前中は児童・生徒向け。午後は村民(大人向け)のものを開催しています。夏のお盆の時期には、学校の校庭でお祭りを開き、桟橋から打ち上げ花火を行います。


島の行事に参加(2023年)

教職員は村の人口の約1割を占めているため、村の行事を支える大きな戦力になっています。村の人と一緒に行事の準備をするのは、なんだか学生時代の文化祭準備のようで非常に楽しく、地域と密着した利島ならではの活動だと思います。
内地には当たり前にあるコンビニや学習塾、映画館といった娯楽施設なども利島にはないため、村民同士が協力し合い、互いに声を掛け合い、知恵を出し合いながら生活しているところが利島の魅力だと思います。

教員への道程

― 卒業時は化学系の企業に就職したということですが、もともとは教職希望ではなかったのですか。

(諏訪)大学進学に際して、母が教育関係の仕事をしていたため、教職には以前から興味があり、とりあえず教員免許状を取得できる大学を探しました。そして明星大学が、数学と理科の両方を取得でき、好きな化学の研究設備が整っていたため、入学することにしました。卒業時は、教員になるのか理系の会社に進むかで、まだ迷っていました。

よく考えた末に、化学的な仕事かつ危険物取扱者(甲種)の資格が活かせる場所で働くことにし、特殊産業廃棄物を扱う会社に就職しました。1か月の研修期間が終わり、工場への配属が決まりました。そのときに上司から「10年後はここの工場長になるんだよ」と言われ、ずっとこの場所に居続けるのは自分のやりたいことではないと思い、会社を辞めました。

その足で、帰り道にあった明星大学の澤田研に行き、澤田先生(澤田 忠信教授、現 明星大学名誉教授 本会顧問)に会社を辞めたことを泣きながら報告。その直後、澤田先生から「青梅市で副校長をしている澤田研のOBが理科の先生の産休代替(臨時的任用教員)を探しているが、行けるか?」と問われ、教職の道に入りました。

青梅市の職場では、多くの先生方に気にかけてもらい、周りの先生方の手厚いサポートもあり、充実した日々を過ごすことができました。産休代替の期間も終わり、この先生方とまた一緒に働きたいと思い、教員を本格的に志望するようになりました。

青梅市で2年間、あきる野市で2年間の臨時的任用教員を経て、東京都の教員採用試験に合格しました。小平市では正規職員として5年間勤務し、利島に赴任し、現在3年目になります。

思い出

― 大学生活のことをうかがいたいと思います。はじめに、思い返して、明星大学に在学して良かったことはなんですか。

(諏訪)卒業して10年が経っても付き合えるいい友達ができたことです。今年の9月に十数年ぶりに同期の澤田研究室のメンバーで集まる予定があります。

また、今の仕事に繋がっているのですが、教職系の授業が充実しており、実践的な授業(理科以外の道徳や総合的な時間の模擬授業)などが多くあり、教員としての力を身に付けることができたこと。教職資格センターも手厚くサポートをしつつ、厳しく指導してくださったこともよかったと思っています。

― 卒業研究では有機化学の澤田研究室所属でしたね。

(諏訪)遊ぶことに夢中になり、あまり真剣に化学の勉強をしていなかったのですが、研究室紹介のときに澤田先生が、とても楽しそうにご自身の研究についてお話されていました。その時にここの卒業研究は楽しいんだなと感じて、澤田研を選びました。周囲の友達に全く相談せずに決めたので、誰が同じ研究室にいるのか不安でしたが、顔見知りのメンバーばかりになって驚きました。

文化祭で化学科4年生の有志で、チョコバナナのお店を出店し、予想以上に売り上げたことや、化学科研究室3つ(澤田研・原田研・渡辺研)合同で夏に後輩も呼んで、80人くらいでバーベキューをしたことは良い思い出です。

研究では、古代紫*3 の合成の卒業研究をしておりました。それまで報告されていた当時の論文の収率が約40%だったのですが、80%近くまで大幅に上げることができたことがとてもよかったです。


卒業研究で合成した染料 古代紫*

*3 色名の一つ。JISの色彩規格では「くすんだ紫」としている 。一般に、日本古来のくすんだイメージの紫を指し、近世の江戸紫や京紫に対して呼ばれる 。江戸紫より少し赤みが強く、京紫より少し暗い 。紫根(ムラサキソウの根)で染色した色に近いという意味合いで、必ずしも紫根で染めた色だけをいうのではないとされる 。貝紫色を「古代紫」と称することもある (ウィキペィア)。
貝紫色(かいむらさきいろ)とは澄んだ赤みの紫。英語名はロイヤルパープル (Royal purple)、ティリアン(チリアン)パープル (Tyrian purple)。名前はこの色がもともとアッキガイ科の巻貝の鰓下腺(パープル腺)から得られたプルプラという分泌液を化学反応させて染色に用いたことに由来する。分泌液を取り出して日光に当てると、黄色から紫に変色する。古代紫とも呼ばれる(ウィキペィア)。

― それは立派な成果ですね。発表する価値があるのではないですか。

4年生の最後に卒業研究発表会で発表を行うことになりました。15分程度の卒研発表をメモも無しで行う必要がありました。当時原田研におられた先輩のところに何度も何度も発表の練習に通いました。

― そのような発表の経験は、教壇に立つ場合も生きているのではないですか。

(諏訪)教員の訓練としては、教職の模擬授業をした際に、生徒役は何をやってもいいと指示がでていたため、生徒役が様々なおふざけ(?)やねらいとかけ離れた質問があったため、教員としての授業力ととっさの対応力が試されました。おかげさまで、実際に教育実習の最後では、ほぼ一人で授業を任されるようになりました。


大学4年生での教育実習中

― 同席しておられる澤田先生から、学生時代の諏訪さんについてお話いただいてもよろしいでしょうか。

(澤田)室長としてリーダーシップを発揮し研究室をまとめてくれました。個性的な学生が集まり、私も楽しかった。研究はもちろんですが、それ以外にも星友祭に参加したり、学外にも出ていきいろいろな活動をしたりして活発であったこと覚えています。来月研究室の同窓会を開くというので、楽しみにしています。


澤田先生2人そろって

教員として心構えと喜び

― 日頃から心がけていることがありましたらお願いいたします。

(諏訪)先にも述べたのですが、教員として何かに一生懸命に挑戦する姿を子どもに見せることが非常に大切だと思います。また人にやさしくする、困っている人がいたら声をかける、お礼はきちんと言葉にして伝えるなどを心がけています。

子どもには、見てみないふりをしない、思いは言葉にしないと伝わらないと教えているので、自分自身でもそうするように心がけています。子供はよく大人の行動を見ています。この先生が本当はどんな人なのかという本質を見抜いています。子供には偉そうに注意するけど、教員自身ができていないことが多々あります。そうならないように気を付けていきたいです。

自分が担任として初めて卒業させた生徒たちの成人式が今年の1月にあり、夜の会に招待されました。久しぶりに再会した生徒のひとりから、今まさに、明星大学で教員を目指して教職をとっているという話を聞いて、とてもうれしい気持ちになりました。そのような縁を感じられるのが、教員のいいところだと思います。

― 今日は、現在のお仕事や在学時代からのいろいろなお話を聞かせていただきありがとうございました。澤田先生にも同席していただきありがとうございました。

2024年8月25日、Café & meal MUJI新宿にてインタヴュー

 

諏訪 飛翔(すわ つばさ)
利島村立利島小中学校 教諭
46期・化学科(2013年3月卒業)

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