人に役立つまちづくりは50年やった価値がある
多彩な活動
今回ご紹介する秋山 哲男さん(5期・土木工)は、研究者としての専門分野である「外出に不利益を被っている移動制約者の観点からの社会資本整備」ばかりでなく、社会貢献・地域貢献活動にも意欲的に取り組んでおられます。そして、その取り組みに対して、2022年度に「高齢者や障害者のモビリティとバリアフリーに関し有識者の立場から政策立案の中心的役割を担うなど交通分野におけるバリアフリー化の推進に寄与した」として、令和4年度国土交通省第64回交通文化賞を受賞されました。そして、2024年秋の天皇・皇后両陛下主催の園遊会にも招待されました。
また、東京都町田市の市長選挙へ立候補したり、2021年の東京2020オリンピックの聖火ランナーを務めたりなど、幅広く活動しておられます。
― 大変お忙しいところ時間をとっていただきありがとうございます。
まず、現在のお仕事についてお願いいたします。大学での研究活動ばかりでなく、さまざまな活動をしておられるとうかがっておりますので、それらについても併せてお願いいたします。
(秋山)
1. 最近の研究活動:
東京都立大学(1975~2010年:助手~教授)に35年間務めた後、2014年から中央大学研究開発機構教授(文京区春日:後楽園)として寄付講座を開設し、現在は准教授2人を雇い、客員研究員18人の体制で、仕事・プロジェクトなどに取り組んでいます。
研究のテーマは「超高齢社会のインフラプロジェクト:①高齢者・障がい者等を対象とするユニバーサルデザイン、および、②地域交通とモビリティシステム」です。
現在の研究は科学研費費や受託研究により、オリンピック・パラリンピックのレガシー研究、目に見えにくい障がい者の支援方法の研究、LRT(路面電車)の調査、空港の診断、電線地中化の効果論などを行っています。
2. 社会貢献
行政に対する社会貢献として国土交通省(政策作りなど)をはじめとする自治体(川崎市・東京都・新宿区・調布市・大田区・多摩市・川口市)や民間(羽田空港・成田空港・鹿島建設(秩父宮ラグビー場)・国際園芸博覧会・交通エコロジーモビリティ財団のユニバーサルデザイン設計や研究協力を行っています。
3. 地域貢献
地元の地域貢献として町会活動(目黒区柿の木坂)を、副会長として町会のシステム作り・防災対策などを行っています。また、社会福祉法人(職員70~80人の障がい者施設等)の理事長行っています。
― 土木というと、橋梁や道路を造るというイメージがあったのですが、高齢者や障がい者対応の政策作りやシステム作りを通して都市計画の研究をされているようですので、その辺りについてお願いいたします。
(秋山)
移動制約者の観点からの社会資本整備について紹介します。一般の人に比べ、外出に不利益を被っている人を移動制約者(移動困難者)と呼びます。
SDGs*1でも「誰も取り残さない」という言葉がありますが、私は国や市区町村の計画や技術を移動制約者(車いす使用者や視覚障がい者、発達障がい者等)が外出できるように法制度を国土交通省とともに30年間かけて整備してきました。
*1 SDGs(持続可能な開発目標)とは、2015年9月国連で採択された「持続可能な開発目標」です。「誰一人取り残さない」という理念のもと、「持続可能な世界を実現する」ことを目指した、2030年を達成期限とする17のゴール、169のターゲット、および、その進展を評価するための指針を持つ包括的な目標です(一般社団法人日本SDGs協会ホームページより)。
具体的には、道路・空港・鉄道・バス・タクシーなどの交通インフラすべてを高齢者・障がい者が安全に使いやすくする計画やデザインのアドバイスです。例えば、2006年から東京国際空港(羽田)ターミナル・新千歳空港などを設計から開港までユニバーサルデザイン(UD)の座長としてお手伝いし、2010年に完成後も14年間、UDの観点から改修を続けてきました。また東京2020オリンピック・パラリンピックでは、道路・交通の障がい者対策の基準の翻訳やアドバイスを行ってきました。
変化を先取りするのも研究
― 一昔前に使われていたバリアフリーという言葉が近年にユニバーサル(デザイン)という言葉に置き換わってきたように思います。また以前は、スペシャル・トランスポート・サービス(STサービス)のご研究もしておられたそうですが、それぞれ社会の中での対応が進歩してきたと考えてよいのでしょうか。
(秋山)
私が小学校のころ(1950年代)テレビが出てきました。大学時代(1970年代)にはワープロ・パソコンが普及し始めました。携帯電話(1990~2000年代)からスマートフォン(2010年代)へ進化したのもここ20年でした。これらと同様研究も、人々の意識も大きく変化してきました。
障がい者等の専用交通手段の用語、STサービスと移動制約者は私が提案し国土交通省で使っていただきました。またユニバーサルデザイン、インクルーシブ(誰も取り残さない)デザインも率先して使っています。これからインクルーシブ交通を日本に定着させる研究を行うつもりです。今月は学会で英国のインクルーシブトランスポート(発達がい害・認知症などを重点)の発表、および発達障がい者が飛行機に乗れるプログラムをJALと一緒に3年間継続して研究しています。
― いわゆる移動制約者に対する最新技術についてご紹介お願いいたします。
(秋山)
プロジェクトの事例
移動制約者の最新技術は少なく、むしろ安全に移動できるための技術の基準や政策の支援を主にやってきました。移動しやすさを支援する技術を探し政策的に利用できるようにすることです。いわゆる必要なことは何でもすることです。いくつか事例を紹介します。
(1)世田谷梅丘地区のバリアフリー
1985年世田谷区において「ふれあいのあるまちづくりで基礎調査」でバリアフリーの道の設計アドバイスをしました。
(2)沼津駅前広場のユニバーサルデザインの設計(土木学会デザイン賞)
2003年UR都市機構(独立行政法人都市再生機構)のUD設計の座長として参加し、
駅前広場を設計しました。
(3)ユニバーサルデザインへの取り組み
東京国際空港ターミナル株式会社の「ユニバーサルデザイン検討委員会」の座長を2006年の設計段階から2010年に完成するまで務め空港を完成しました。また完成してから2年に一度の見直しを行いその座長も務めてきました。
参考文献) ユニバーサルデザイン 東京国際空港ターミナル株式会社
(4)エレベーターが突然停止した時の聴覚障がい者のコミュニケーションツールのモニターを成田国際空港の委員会(座長)で開発しました。
これらの他に、障がい者・高齢者専用の交通(STサービス)に関連して、同窓会の重枝さん(重枝孝和副会長 インタビュー時)の「東京ハンディキャブ連絡会(高齢者、障がい者の移送サービス)」にも20年以上関わり、毎年開催される「移送サービス研究協議会」で司会やコーディネーターもしました。このテーマで、1990~2010年に英国・米国・スウェーデンなどに、20回程度は視察調査を行いました。
― 行政との関りということに関連すると思いますが、市長選挙に立候補されたり、大学で新しい大学院を立ち上げたりもされましたね。
(秋山)
当時の石原慎太郎都知事の要請で首都大学東京(東京都立大学は、当時「首都大学東京」という名称)に「観光」の大学院を立ち上げました。7人の新たな雇用を終えるまでは在籍していたのですが、その後退職して立候補しました。
町田市の市長選挙です。それまでの研究を市長として実践で生かしてみたい気持ちもありましたが、それだけでなく、社会貢献として引き受けていつの間にか増えていた(40~50の委員会)政府や自治体の審議会などの仕事に一区切りつけたかったからです。
当選ラインには届きませんでしたが良い経験になりました。その後はまた研究活動にもどりました。今では、研究室出身の優秀な後輩が育っています。
― 社会貢献活動として行政や政治と関わることと大学での研究・教育活動のバランス配分のコツ、秘訣はありますか。
(秋山)
都市計画は基本的に人々の生活をより良くする学問です。従って、行政の政策などを研究として取り扱っています。つまり研究と行政・政治は極めて近いところにあります。
― ところで、最近「ライドシェア」という言葉をよく聞きますが、その実証実験にも携わっておられましたね。
(秋山)
北海道の中頓別町で、2016年度から3年間、地域住民の方の自家用自動車を活用した「なかとんべつライドシェア(相乗り)実証実験」に関わりました。おそらく、本邦初期のライドシェアだと思います。
当時、このライドシェアが社会的に認められるまで10年程度はかかるのではないかと担当コンサルタントの人と話していました。当時の状況は日本のタクシー業界・国会議員が反対し日本では御法度の状況でした。しかし、このライドシェアは日本に存在する約6,000万台の内、1日のある瞬間にたった5%しか使われてない自動車の社会資本有効利用であり、その時間に働いてない人の雇用を生み出す新しいタイプの仕事と考えていました。
その意味で、「雑貨屋がコンビニ」に変わったように、タクシーという古い業界が「タクシーから新しい交通サービス」に変わっていくと考えたからです。しかし、政治の流れで、2024年度からようやく、ライドシェア(欧州・アジア・米国とは異なる運用)が日本で認められるようになりました。
東京2020オリンピックの聖火ランナー・交通文化賞の受賞
(秋山)
2016年に内閣官房のオリンピックの準備で「ユニバーサルデザインの分科会」の座長として委員会で政策作りをしてきました。これを基に、空港、鉄道のユニバーサルデザインが進みました。2021年には、東京2020オリンピックの聖火ランナーとして走りました。
2022年(令和4年度)に「高齢者や障害者のモビリティとバリアフリーに関し有識者の立場から政策立案の中心的役割を担うなど交通分野におけるバリアフリー化の推進に寄与した」という理由で国土交通省から第64回(令和4年度)「交通文化賞」をいただきました。この延長で、2024年10月30日に「園遊会に招待され赤坂御苑」の天皇陛下と皇族の方々とお会いし、きれいな庭園を見ることができました。
2021.7 聖火ランナーとなる
母校で学びさらに高みを目指す
― おめでとうございます!それらはこれまでのさまざまな貢献と成果が認められたのですね。話題を変えて、明星大学在学中のことをうかがいたいと思います。
(秋山)
明星大学の土木工学科を志望したのは兄(直文さん 1期・土木工)の影響です。元々は欧米への留学を志していました。ところが、当時からやっていた武道(剣道・空手道・居合い抜き)の他流試合で、巨大な外国人と対戦しこれはかなわないと志望を変えました。理系の中で、土木が一番自分に合っていると思い、また八王子から近いこともあって入学しました。
広瀬盛行先生(明星大学名誉教授)
とにかく専門を比較的勉強しました。2年生から森先生(森満雄教授)の土質実験室に入り、3~4年生のゼミでは広瀬先生(広瀬盛行教授)の都市計画を学びました。どちらでもよく宴会をやっていました、当時はあまり酒好きではなかったのですが。
しかし今思い返せば、就職や転職といった私の人生の転機はすべて酒席で決まりました。
― 勉学中心の在学生活だったのですね。
(秋山)
そうでもありません。奨学金もあったのですが、アルバイトも複数やりました。アルバイト先に、卒業後に就職しないかといわれるくらい真面目にやりました。3年生になるとアルバイト(家庭教師や土質の実験に応用地質㈱、ダスキンの配達)などに時間を割かれ、せわしく動いていました。
そんな中での休息として、冬は大学の蔵王のスキー教室への参加や、夏は土木工学科の仲間と白馬の民宿へ、そして広島に旅行に行ったことなどが僅かな休養でした。それから当時は明星大でも学生運動があり、行動はしなかったが関心は持っていていろいろ本を読みました。
大学蔵王スキー教室 左写真左から3人目、右写真左端が秋山さん(ゼッケン10)
土木の仲間と広島旅行 前列右が秋山さん
4年生になって東京大学都市工学科から広瀬先生が明星大学に専任の助教授として赴任し、ゼミ生として入れていただき、大都市問題とニュータウンに関する卒論を書きました。その時は本を読むこと、自分で考え、都市を見に行くことが、楽しい日々でした。
そして明星大学に大学院理工学研究科土木工学専攻が新設され入学しました。大学院では「東京の都市圏で人が移動する分布交通モデル」を研究しており、この時に東京大学で広瀬先生の同僚だった山川仁先生がおられ、ドイツ留学から帰った直後から修士論文の指導を受けました。
― 修士課程を修了後の明星大学から離れた後のことをお話しください。
(秋山)
修士の学位取得後、山川先生が東京都立大学専任講師に着任した時に助手として雇っていただき(ただし2年間の約束)、私の50年にわたる研究生活の第一歩が始まりました。
2年間の雇用期限はとりあえず忘れ、研究者として生きるためには「博士」の学位がないと何も始まらないので、工学博士の学位を取ることが、私を含め当時14人いた都立大学の助手の共通目標でした。
せっかく助手になれたので、社会に役立つ研究者を目指そうと思いましたが、山川先生は研究テーマについては何もおっしゃってくださらず、テーマ探しで6~7年かかり、考えている段階で同時期に留学の機会にも恵まれました。1981年に英国の留学(ラフバラ―大学・ロンドン大学:UCL)で海外の「高齢者・障がい者のモビリティ確保」の文献を読み、何人もの研究者にお会いし、さまざまな都市をたくさん見て回りました。
この経験が後で役に立ったなと思いました。また学会終了後のテーブルをロンドン大学のオルソフ教授が率先して片付けていた時、だれかボランティアを頼むとおっしゃっていたことが、今でもトップに立つ者の姿として思い起こされます。
そして、帰国後10年近く研究論文を積み重ね1991年に「都市における高齢者・障害者のモビリティ確保に関する研究」をテーマとした博士論文を東京大学工学研究科(主査は新谷洋二先生)の学位記第10110号として、学位を授かりました。
― もともと欧米での留学を考えておられて、いったん進路変更をした後、研究者になってから本格的に海外を飛びまわるようになられましたね。
(秋山)
海外調査、国際会議を日本で開催したことをお話しします。
1991年、国土交通省が新しいバリアフリーの部局を作った時に専門家として米国(Washington DC・New Yoak)・英国(London)に派遣されました。ようやく私の研究を政府が取り扱ってくれる重要な出発点でした。その後、毎年2~3回海外に情報収集に行くことを心がけていました。
1990年代は自分のため、2000年以降は国際会議に向けての努力を重ね、米国交通学会(TRB)のアクセシビリティ委員会のメンバーとなり2004年に浜松市で「障害者・高齢者のモビリティと交通の国際会議」を開催しました。寄付金を集めることや国際会議の準備で非常に大変でした。
2007年モントリオールの国際会議では、現地のレストランで夕食する予定をたて、大学院生4~5人に連絡し、現地集合・現地解散としたことがありました。
海外視察で苦労することは相手先のアポイントメントを取ること、それに合わせてチケットやホテルを準備することでした。
― 明星大の同窓生との交流は続いていますか。
(秋山)
土木同期の須崎保さん(株式会社セリオスの代表取締役会長)がいます。現在無電柱化の共同研究もしています。彼とは、今年正月の「令和6年能登半島地震」発災後、東京都立大時代の同僚の中林一樹先生(防災の専門家)も一緒に車を用意して3日間現地を視察しました。地震は注視していて、2011年の東日本大震災の時も現地に20回程は行きました。
他、同期で神戸の岩永耕一さんはコミュニティバスの運行で一度現地に行ったことがあります。また10年以上前に同期生の荒沢進さんがんで亡くなる前に有馬英二さん、大堀耕平さんと一緒に会いに長野県大町に行ったことがあります。
ここ15年は明星大学1期生の兄をはじめ毎年多くの身内が亡くなり、自分から友人に連絡を取る余裕がほとんどなくなりました。昨年は母親代わりのような姉の葬儀にも、2人の人事(准教授)の審査の時期と重なり行けなかった状況です。研究や若い人の将来を優先し、いわゆる義理を欠く行動がここ10年続いています。
― 同窓生の皆さんにメッセージをお願いします。
(秋山)
私は自分と関わる人がハッピーになれるよう努力をすることにしています。それは、
1)自分自身に役立つ
2)近くの知り合い・友人・地域に役立つ
3)社会に役立つ
等のことです。
以下事例をあげます。
①中央大学教員として:特に若い人の研究の未来を切り開く役割(2人の雇用と研究支援)
②障がい者施設の理事長として:地域貢献をしている人の支援(70人雇用の障がい者施設の理事長)
③卒業生の支援(研究的支援、再就職、相談など)
④苦手な町会運営(広報・資料作成)
⑤行政の座長(社会的意味がある内容の委員会・審議会等の座長:10ヶ所)
― 本日は、いろいろ興味深いお話をありがとうございました。同窓生の中にも、いわゆる移動制約者がいます。そうでない人もかならず高齢者になります。その時に秋山さんのご研究が生活の質(Quality of Life, QOL)維持・向上に役立つと分かりました。
2024年7月19日(金) 中央大学研究開発機構秋山研究室(文京区春日:後楽園)
本人原稿に補足インタヴュー
2024年11月1日(金)園遊会について追記
秋山 哲男(あきやま てつお)
中央大学研究開発機構 教授
5期・土木工学科(1972年卒業)
理工学研究科土木工学専攻修士課程
(1974年3月修了)
工学博士(10110号 東京大学1991年)
東京大学まちづくり大学院 非常勤講師
早稲田大学文化構想学部 非常勤講師
他
<受賞>
国土交通省第64回「交通文化賞」
(令和4年度)
他
<社会貢献>
土木計画学研究委員会
高齢者・障害者交通委員会・委員長
(2002~2005年)
日本福祉のまちづくり学会 会長(2013年~)
他
<著書>
観光のユニバーサルデザイン
― 歴史都市と世界遺産のユニバーサルデザイン ー
(2010年学芸出版社)
生活支援の地域公共交通
(都市科学叢書 3, 2009年 学芸出版社)
バスはよみがえる(2000年 日本評論社)
他
<講演>
マレーシア政府で招待講演(2010年7月)
他