未来志向のものづくり「東京未来素材」の開発
本日は、理工学部化学科20期生の近藤伸二さんを、武蔵村山市の三幸電機製作所本社・工場に訪ねました。プラスチック製品の開発・製造を手掛ける三幸電機製作所の経営をお父様から引き継いだ近藤さんは、従来のプラスチック成形に加え、未来の環境を考えたエコロジー事業にも積極的に取り組んでいます。「東京未来素材」の開発のお話、明星大学との関わり――未来を見据えた人づくり、ものづくりについて伺いました。
環境を考えたものづくり
―三幸電機製作所の事業内容からお話しいただけますか?
1965年に小金井市で創業し、小平市を経て1988年より武蔵村山市に本社・工場を構えるプラスチック成形のものづくり企業です。先代の父が三重から上京し、自宅の片隅ではじめた会社をコツコツとまじめに大きくしてきました。
創業者である父から経営を引き継いだ2000年代前半は、ハードディスクの製造や加工に使用されるプラスチック製部品が大いに売れていましたが、リーマン・ショックが起きた2008年以降、受注が激減する時期が訪れました。当時は外需頼みの状況であったため、自分たちの品質がどれだけ高くても、為替や海外の情勢の影響を受けて注文数が大幅に減少することも度々でした。そこで、経営を安定させるため、国内向けの製品を作れないかと考えるようになったときに、ある素材との出会いがありました。
「東京未来素材」(燃やせるプラスチック)誕生
―その出会いとは?
2013年、東京都の外郭団体から「紙をパウダーにする技術を持っている会社がある。この新素材を上手く利用できないか」という話をいただいたのがきっかけです。当時、紙をプラスチックに混ぜて成形していた会社は日本に存在しなかったので、早速、紙パウダーとプラスチックを混ぜた原料で食器の試作品を作ってみました。
プラスチック樹脂は180度以上に加熱しないと溶けないのですが、紙はその温度になると焦げやすい。そこで温度の調整、熱の掛け方、紙のパウダーの細かさなど、調整を進めながら、焦がさないように加工するための実験を重ね、ノウハウを蓄積しました。
―「東京未来素材」の製品は可愛らしいですね!
紙パウダーが51%以上含まれているバイオマス素材のため、可燃物(紙ゴミ)として全国どこでも廃棄でき、紙に比べて耐水性・耐久性に優れているので、電子レンジ・食洗機等、一般的なプラスチック製品と同じように使用できます。この新素材が、未来を変えていく一助になってほしいという想いを込めて、2018年に「東京未来素材」という名前をつけて商標登録しました。
「東京未来素材」を使ったオリジナル製品の企画開発をはじめて12年目。現在では、売上のうち約3割を占めるほどに成長しています。今ではSDGsが周知され、「東京未来素材」も環境に優しい製品として注目されていますが、12年前は環境問題に対する関心が低く、環境素材というよりも単に面白い素材という認識でした。大気汚染が深刻化し、中国で2017年に廃プラスチックを含む廃棄物の輸入が禁止になり、世界中でプラスチック削減の動きが広まったのがターニングポイント。我々にとってはいい追い風になりました。
現在は、紙だけでなく木でも作っています。木が51%入っていると基本的に分類が木になります。紙も木も燃やしていいので「燃やせるプラスチック」というキャッチフレーズをつけています。
最近は紙100%の素材の取り扱いも始めました。
―マーブル模様の入った製品も素敵ですね。
これらの製品も人気の商品ですが、おもしろいことに同じ模様が絶対出ません。毎回毎回作るたびに模様が変わってしまうので、「一(いっ)品(ぴん)一(いち)期(ご)」という言い方をしています。
「東京未来素材」はもちろん、梱包資材の削減やリサイクル古紙を使った素材の研究など、環境に配慮した取り組みを行うほか、環境負荷低減のために再資源化プロジェクトにも取り組んでいます。ゴミの減量化は大きな課題ですので、一定量を使用される企業・地方自治体の使用済み製品を当社で回収し、新たな製品へとリサイクルするサービスも行っています。
―2年前には大規模な設備投資もされたそうですね。
きっかけになったのは、機械が10%値上がりするのがわかったこと。当時の年商の半分の額を投資しました。いくら補助金が申請できるといっても、確かに過剰な投資なのですが、その分の仕事を取るように頑張ればいい、効率化すれば経費が削減できると、最新の機械にこだわり導入しました。
事業拡大により、現在の工場は土地面積300㎡以上に増床。最新鋭の機械を整備。
ものづくりは試行錯誤の連続です。実験を重ねて検証し、再現性を求めるチャレンジは中小企業の使命でありチャンスだと思います。チャレンジして技術を持ち、それを売り込めばいいと考えています。常に前を向き、「これは無理だろうな」という仕事にこそ協力したい。そのために最新の全自動成形機を導入し、完全無人化・24時間稼働で短納期にも対応しています。
B to BからB to Cへ展開
―将来を見通しての判断なのですね。
性格上、入り込んでしまうタイプなんです。自分が納得するまで諦め切れず、深く掘り過ぎてビジネスに関係なく取り組むこともあります。仕事につながるかどうかは別として、何か頼まれると、とりあえずやってしまうタイプです(笑)。
周りのみんなに元気な姿を見せ、「この人と一緒に仕事をするときっとハッピー! 楽しいはず!」と思ってもらいたい。もちろん全部ハッピーな人生はありません。ただ、ハッピーな人生にするかしないかは自分次第だと思います。
大切なことは世の中が変わるのを待つのではなくて、自分たちが変わって世の中に合わせること。いままでは対企業とのB to B(Business to Business)取引がメインでしたが、今後は一般消費者を対象としたB to C(Business to Consumer)も展開していきたいと考えています。実際、インバウンド需要は想像以上に大きく、富士山や人気のキャラクターをプリントした「東京未来素材」のマグネット製品がお土産として喜ばれています。これからのB to Cの発展に大いに期待しているところです。
時代に合わせ、人との繋がりを大事にしながら、自分たちが変わっていく方向性を模索していきたいと考えています。
将来の人間をつくるために
―大学時代のお話もお聞かせください。
大学の1・2年次は、教職を取るために毎日1限から6限まで勉強していて、クラブ活動をする余裕もありませんでした。必死に勉強していたのですが、当時の東京都の教員採用試験は、今と違って本当に狭き門。枠がないことが分かったので、3年に上がったときに教職を諦めました。
3年次からは実験に没頭し、卒業研究では有機化学の研究室に所属して実験に明け暮れました。時には別の研究室で、機器室の真空蒸着装置をお借りして合成した多環芳香族化合物の薄膜化を試みました。しかし条件が難しくて、その部屋にこもり試行錯誤を繰り返しました。
諦めずに継続して仕事に没頭する習慣は、このころの実験漬けの日々に培われたものかも知れません。
大学で、学科のいろいろな考えの人たちと学生生活を送れたことは貴重な経験になっています。ただ、結局4年間、クラブや同好会にも入らず、アルバイトもしていなです。親から「バイトはやめろ。するならウチで働け」と言われて…。今思えば、大学時代に、学科以外の人達と付き合ったり、遊んだりしたかった。クラブにしても同好会にしても、今更ですけど、やっぱり人のつながりって大きいですから。
―明星会の支部活動(同窓商工会)をされていますね。
同窓生とのつながりを深めたいと思い、6年前に「同窓商工会」*に入会しました。年に2回の会合には必ず出席し、だいぶ名前を覚えていただきました。今後はもっと若い人たちに入ってもらって、一緒に会を支えていきたいと考えています。
*同窓商工会:会長 小佐野台
設立 1985(昭和60)年秋 同窓生47名で設立 現在60名
事業内容 明星大学卒業で主に事業経営に携わり卒業生同士情報交換を会社の成長に繋げる
主の活動
①経営に携わる方に来ていただき講演会を開く
②1年に1回 海外で事業を行っている会員会社に訪問事業を視察する
③年に2回以上国内で会員の情報交換を行う
会員年齢 40~70歳代
入会基準 主に経営に携わっている方
連絡先 日本ハウズイング株式会社(会長勤務先)
住所 新宿区新宿1丁目31-12 TEL 03-3341-4141
大学とのつながりといえば、デザイン学部が2025年3月1日に日野校で開催した、多摩地域を拠点にデザインの力を活かしたプロジェクトを増やしていくためのプラットフォーム「デザインセッション多摩(略称:DeST(デスト))2024」*にも協力しました。今回のテーマは「まちなかファクトリー」。ワークセッションにコラボ参加し、「工場とまち」の関係を様々な立場の人々と共に考え、交流する機会をもちました。大学とのこうした関わりもよい刺激になっています。
*デザインセッション多摩:https://meide.jp/dest2024/
―大学での交流が現在も続いているのは素敵ですね。
若い人材を育てることが還暦を過ぎた我々の使命だと思い、明星学苑創立100周年記念募金にも寄付をさせてもらいました。今後の日本経済を支えるには、将来の核となる人間を育てることが必要です。これからは未来を見据えた人づくりに貢献したいと考えています。
人づくりの一環として、子ども食堂を開くのが夢です。週一ではなくて、月曜から金曜まで毎日開いている食堂にしたい。実は、妻の実家の畑を借りて農業もしています。見よう見まねで野菜を作りはじめて21年目、「副業は農業」と言えるレベルになりました。採れたての野菜は、甘さや瑞々しさが違うんですよ。先日、妻から「20年やってくれてありがとう」と、はじめて褒められましたが、この自家野菜をふんだんに使って、子ども食堂ができたらいいなと考えています。
2025年3月19日
有限会社 三幸電機製作所にてインタヴュー
代表取締役 近藤伸二(こんどう しんじ)
理工学部化学科(20期 1987年卒業)