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あのスポーツ大会のボランティアを体験!

人文学部社会学科を1980年に入学した増田聖一です。学生時代は、体育会ワンダーフォーゲル部、そして体育本郡の幹部とし活動していました。本学卒業後も、学生時代の先輩や同期生、後輩との交流を続けていますが、人生における財産となっています。

今回は、卒業後の社会人としての思い出、そして東京2020オリンピックのフィールドキャストとして活動したことを紹介させて頂きます。

IT企業に就職するもハードルが・・・

卒業後は、IT関係の企業に就職しました。大学時代に関わることのなかった分野へ進むことになるのですが、2進数やブール代数など改めて勉強することになり、文系学生にとっては第一のハードルとなりました。

主な業務内容は、導入したシステムの状況確認や保守作業、バージョンアップ、障害対応など定期的な顧客訪問が欠かせない業務ということもあり、忙しい日々を過ごしました。

ある年は、年に40回弱の出張をこなし、北海道から九州まで日本全国を飛び回る中、長男が誕生するなど目まぐるしかったこともありました。(その長男も現在は社会人としてIT関係の企業に勤務しています)。

社会人として最も思い出があるのが、ITの2000年問題対応です。この問題は、社会全体として大きな話題となり、新聞や雑誌、TVなどで有象無象の情報が連日飛び交っていました。IT関係で働く方々は社会的な使命感をもって対応に当たっていたはずです。

そもそも2000年問題をご存じですか?

2000年問題について少し触れたいと思います。コンピュータは、西暦の下二桁を基準にして計算しており、西暦2000年になると下二桁が「00」となり、「1900」と見做してしまうことでした。そのため、コンピュータ処理が正常に機能するためには、計算方法の変更が必要になったという問題だったのです。

皆さんにとっては簡単な変更では?と思われるかもしれません。しかし、蓄積されたデータや膨大なプログラムを修正する作業は生易しいものではないのが機械の仕組みです。特に金融機関や社会的インフラを担う企業や公的機関への対応は、極度の緊張を伴う仕事でした。

ただ、この問題に関しては、業界全体が課題意識を持っていたこともあり、世間が騒ぎだす前から対応を始めていました。当時の勤務先でも、関係者が一丸となって対処し、社会的な影響を最小限に留めたという自負が現在もあります。

2000年問題対応後、思うことがあって転職をしました。元々、IT業界は転職のハードルが低いこともあり、次なるステップアップを目指した結果です。転職先は、アトランタに本拠地がある外資企業系のソフトウェア会社で、顧客向けのコンサルティング業務を担当しました。その会社で3年ほど勤務した後、同じ外資系のハードウェア企業に再び転職、現在は大手商社系の情報セキュリティ関連企業でマーティングを担当しています。

大学卒業後、複数の企業で働きましたが、現在も終身雇用的慣習が強い日本社会では珍しい経歴かもしれません。今振り返ってもどの会社もよき経験となったことはいうまでもありません。

ところが、2011年5月、人生で最も転機となる事態が訪れました。それは、脳出血を発症し、長期の入院と自宅療養を余儀なくされたことです。脳出血を患ってしまったのは、先天的遺伝的な要因もありますが、日頃の生活態度が宜しくなかったことが原因であることは間違いありません。

現在は、二ヶ月に一回の通院を行い、主治医の指導を受けながら再発病を防ぐ生活しています。病気は、治療より予防が大事です。食事や日頃の生活習慣に気を遣い、健康な日常を過ごされることをお薦めします。

Tokyo2020にボランティアとして参加

少し時間を進めた2020年のことです。この年は新型コロナウイルス感染症の影響で東京2020オリンピック・パラリンピック大会の開催を1年延期するという事態に見舞われました。翌年となる2021年に様々な意見が寄せられる中、感染対策を万全に開催することになったことは記憶の新しいところでしょう。

大会の準備が進む中、開催に向けて選手を支えるボランティアが支援を辞退するといったニュースが連日放送され、一時はどうなるのかと思った方もいらっしゃったかもしれません。私自身は開催に際し必要であることに間違いはないと思い、ボランティアの応募をしたところ、フィールドキャストとして参加することが決まりました。

フィールドキャストとは、東京2020オリンピック・パラリンピックの各会場、各分野で活動するボランティアで、学生や社会人、定年を迎えた人など、年齢や性別など関係なく、スポーツに関を持つ多くの方々が参加し、大会を支える大切な役割です。

参加に至った理由は、数年前から所沢市で開催される「所沢シティマラソン」に選手として参加していた際、オリンピックや2019年に開催されたラグビーワールドカップ日本大会など、大きなスポーツイベントに、ボランティアとして関わりたいと考えるようになっていたことから思い切ってラグビーワールドカップ2019と東京2020オリンピック・パラリンピックのボランティアに応募することにしたのです。

残念ながら、ラグビーのボランティアは叶いませんでしたが、幸いにもオリンピック・パラリンピックはフィールドキャストとして活動する機会を得たのです。

東京2020大会開催期間中、私自身はシャペロンと呼ばれる役割に従事し、陸上自衛隊朝霞訓練場において、射撃競技、埼玉スタジアム2002ではサッカー、さいたまアリーナではバスケット、オリンピックスタジアム男子1万メートル競技でそれぞれ活動しました。

シャペロンとは、フランス語で「介添人」の意味です。主な役割は対象競技者を特定し、検査対象となった通告ならびに書類の作成、ドーピング検査室(DCS)への誘導と終了までの監視、DCSの管理等をシャペロンマネージャーの指揮下で活動を行います。

もし、選手のドーピング行為が発覚した場合、金メダリストであっても剥奪され、一定期間は資格停止処分となります。そのような不正が行われていないかを監視するのがシャペロンに課せられた責務でした。

守秘義務があるので詳細な内容は明かせませんが、競技の中立性を担保し、スポーツを愛する皆さんの期待に応えることが、ドーピング検査チームの役割であり、緊張を持って遂行できたことだと考えています。

東京2020オリンピック・パラリンピックは、新型コロナウイルスの世界的な蔓延、一年延期や無観客での開催、中止を求める一部世論など様々な困難がありましたが、パリ2024大会になんとか引き継ぐことができました。

そのような、歴史に残るオリンピックで関わることが出来たことは、生涯の記念となりました。今後も、大小を問わず、スポーツイベントへ積極的に参加しようと考えています。

みなさんにも何か参加してみたいと思う活動はありますか?何かの機会があれば是非聞かせてください。

1980年入学
人文学部社会学科
増田 聖一

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