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世界一の胡蝶蘭をお届けいたします

コロナ禍の真っただ中、まだ先の見えない今日ですが、今伝えられることをお話しいたします。

バブル景気を謳歌おうかした学生時代

私は父が東京で起業した生花店の長男として生まれ、日々「跡を継ぐときのための教え」を受けて育ちました。3歳ぐらいからの記憶ですが、当時は3 m弱(1間半位)の店で、早朝から夜中まで、両親が休むことなく働いていたことを鮮明に覚えています。そのころから、父は「自分は、絶対に日本一の花屋になる」と私に宣言をしていました。それは今思えば誰かに言い続けなければ、心が折れそうな時があったのではないか、そして言い続けることで、夢がかなうと信じて、何にもわからない小さな私に壁打ちのように語り続けていたのではないかと思います。そんな環境でしたが、小学生の時から大学を卒業するまで家業を手伝い続けました。

小さかった生花店は日本の好景気と両親や従業員の方々の努力により、どんどん成長を続けました。そうした中、私は1浪して明星大学にお世話になることになります。入学の時が1989年。時代は、バブル経済の中にあり、卒業後の進路を心配する学生などいなかったように記憶しています。ところが私たちが4年生になるころ、バブル経済がはじけました。

就職、転職、そしてユー花園の社長に就任

のんきに構えていた私は、4年生になって慌てて、同級生が内定していた企業を教えてもらい、10月の内定式ぎりぎりで、内定を得ることができました。その会社は電気設備工事会社で、丸4年間営業職でお世話になり、4年目の3月31日で退職し、翌日の4月1日より父の会社、「(株)ユー花園」に入社しました。

前職を去って翌日からの転職は、家業とはいえ、かなり戸惑いもありましたが、せっかく外で学んだことを1日も早く生かしたいという気持ちが強く、このような形のスタートとなりました。当時、ユー花園は世田谷に本社を置き、立川市に支社があり、その他小売店舗、ホテル店舗等業態を拡大していました。私が他社で勤めていた間に入社した社員も多く、従業員数は200人を超えていました。入社した私は先ず営業を担当し、その他社内の不足している仕組みなどを整え徐々に責任のある立場になっていきます。

入社3年目には、仕入れを担当する別会社の「(有)ユー企画」の代表になり、ユー花園の仕事と並行して業務を行いました。ユー花園の従業員数が400人を超えたころ、父が私に社長を譲り、自身は代表権のある会長になるという話をしてきました。それが、2011年の1月ごろでした。

さっそく試練が そしてコロナ不況

私が社長に就任したのが11月1日でしたが、その年は忘れもしない東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)3.11の年でした。この大震災により、当時の日本は不安の真っただ中にあったと思います。そのようなタイミングだったからこそ、社長就任の時はかなり覚悟を決めたのを覚えています。当社ユー花園の事業は、葬儀の花の装飾、結婚式の花の装飾、小売店舗の運営などでしたが、ちょうど2010年に仙台にオープンしたホテルへ店舗と結婚式の飾花の業務で参入を開始した矢先の災害だっただけに、地元のスタッフの安全確認やその後の仕事の停滞など記憶に残る年になりました。

そして、2019年12月に父が代表取締役会長を退任し、私が唯一の代表取締役となりました。そのころ、中国の武漢で新型コロナウイルスの発生がニュースになり始めていましたが、当時は、SARS(サーズ 重症急性呼吸器症候群)やMERS(マーズ 中東呼吸器症候群)のような感染症は日本には入ってこないものと誰もが思っていたように記憶しています。本当の代表としての仕事のスタートが新型コロナウイルスの発生とともにスタートしたのも皮肉な話ですが、この後経験もしてこなかった大不況に見舞われます。

今思えば、父は「なんて力不足の息子に社長の職を託したのだろうか」と後悔しているのでは、と考えた時もありました。しかし、2011年に社長を託されたからこそ、このコロナ禍を何とかしのいでいられるのではないか、と父の決断に感謝しています。

海外の合弁パートナーの副社長は同窓生

この10年間、たくさんの経験や困難の中で、人との出会いがあり、多くの人に助けられました。社長になったすぐの年にお客様のご紹介で台湾から胡蝶蘭輸入の話があり、その関係者の方々と話を進めるうちに、台湾に合弁で会社を設立することになりました。たまたま、合弁会社の台湾側のパートナーの会社から参加した副総経理(副社長)が藤林朗さんという青年で、よくよく話を聞くと明星大学の同窓生(40期・経営情報)で、よもや海外で一緒に仕事をするパートナーが同窓生!と驚いたのも束の間、元々この話を持ってきていただいた方が藤林朗さんのお父様だったのです。このお父様である藤林一郎さんも明星大学の同窓生(3期・機械)ということがわかり、その後、同窓商工会(明星大学同窓会支部)をご紹介いただき、今に至るまで、藤林一郎さんをはじめ、他の先輩方ともお付き合いいただいています。

藤林朗さんが経営する台湾の胡蝶蘭の生産会社とも当社が日本国内の独占販売契約を結ぶことができ、お客様からは世界一の胡蝶蘭の品質との評価をいただいています。この台湾の話も藤林一郎さんとの出会いが無ければ、始まっていませんでしたし、私自身海外ビジネスに挑戦することも無かったかもしれません。大きな経験の場を頂いたことに感謝しています。

疾風に勁草を知る

このような経験もあり、私は、今を経営者として生きています。未だに先の見えないコロナ禍の中ではありますが、当社は2020年に受けた大打撃から、2021年以降なんとか業績を持ち直して更に、盛り返しています。これは、ひとえに当社で働いているスタッフの力によるものです。私は、働いている皆さんのトップという立場ではありますが、とても私だけの力では、業績を回復させることはできませんでした。「疾風に勁草を知る」という言葉があります。私たちの花業界において本当に苦しかった1年をスタッフの皆さんは逃げずに立ち向かってくれました。感謝の一言に尽きます。父が私の幼少時代より繰り返し伝えてくれていた言葉は「働いてくれている人たちを大事にしなさい、いつも感謝しなさい」でした。私は社長として、まだまだスタッフの方々へ報いることはできていませんが、代表者として「働いている人たちが幸せな気持ちで働ける会社をつくる」ことを生涯の想いとして社業を続けていくつもりです。その実現に向けて自分自身を高めていきたいと思います。

花のもたらす喜びを世界中に

生花業の中では、残念ながら未だに日本一にはなれていません。多分、売り上げベースでは5番以内だと思いますが、日本一になるにはまだまだ道は険しく長いです。しかしながら、今回のコロナ禍を受け、ポストコロナの時代には、ジャイアントキリングもあり得ます。この大変な時に一緒に戦ってくれた仲間たちと共に、ここから挑戦を開始します。思い続ければ夢はかなうものと信じて。

最後に「花のもたらす喜びを世界中に伝えられる集団になろう」が当社のビジョンです。花は、お腹を満たすことはできないかもしれませんが、心を満たすことはできるものと思います。世界中が色とりどりの花に満ちあふれたならば、もっと隣人同士も仲良くできるのでは?と思います。どうぞ生活の中にも花や植物を取り入れてみてください。ほんの少しかもしれませんが、豊かな気持ちになると思います。

2022年1月8日

1993年人文学部経済学科卒(26期)
株式会社ユー花園 代表取締役社長 山田大平(やまだ たいへい)
一般社団法人フューネラル・フラワー技能検定協会 理事長
東京都花き振興協議会 東京フラワーホールセールマーケット協同組合 理事長
一般社団法人全国花卸協会 理事

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